薬を使わないと生活が見えてくる
獨協医科大学越谷病院こころの診療科 井原 裕
私は、180万人の人口を抱える埼玉県東部地域で唯一の総合病院精神科医です。この立場が続いていて、今年で5年目を迎えます。
この、鉄道でいえば東武スカイツリーライン沿線には、南から順に草加、越谷、春日部、杉戸、幸手といった日光街道の宿場町が並びます。もともと埼玉県は、対人口当たりの医師数が最低の、全国一の医療過疎地でした。そのなかでも東部地域は人口の急増も相まって状況は深刻です。総合病院精神医学に関しては、危機を通り越して、すでに崩壊したといっていいでしょう。かつては、草加市立病院、春日部市立病院に1人ずつ常勤精神科医がいましたが、すでに退職。私一人残され、「そして誰もいなくなった」状態となりました。
こうなったらもう失うものはありません。思い切った機能分化を敢行することとしました。それは、診察の対象を非精神病圏と思春期精神医学領域の患者さんに限定させていただくということです。統合失調症、認知症などの一般精神科医療機関にても治療可能な患者さんについては、原則としてそちらでの診療活動を尊重させていただき、当科としては診療を控えさせていただくという方針です。このような機能分担は、周辺精神科医療機関のご協力があってはじめて可能なわけで、関係機関の皆様には厚く御礼申しあげます。
当科の外来では、治療に占める薬物の比重は低下してきています。向精神薬が必須の精神病圏の患者さんが少なく、非精神病圏が多いためです。
現在も、私は毎月50人前後の初診患者を診ています。一人でも多くの患者さんにご奉仕させていただきたいので、短い時間でできるだけ効率よく、効果の上がる方法を考えなければなりません。数多く診ようと思えば、最小限の労力で最大の効果をもたらすような、無理も無駄もない合理的な治療法を考えざるを得なくなります。
忙しい総合病院の精神科外来では、過量服薬は脅威です。自殺は、すべてが精神科医の責任ではないにしても、一定の非難は免れません。患者さんには、服用時の注意を細かく言って聞かせますが、こちらの言うとおりに服用してくださるとは限りません。過量服薬のリスクがあるのなら、「治す」努力よりも「死なせない」努力を優先しなければならないわけです。
そうして、試行錯誤を続けていくうちに、自然と、薬剤(抗うつ薬、抗不安薬、睡眠導入剤等)を最少化し、診察の大半を療養指導に費やすような現今のスタイルに落ち着いてきました。
薬をあまり使わないからといって、それは精神療法に時間をかけるというわけではありません。お悩み相談的な傾聴は最小限にとどめています。むしろ、起床・就床時刻の一定化、平日・休日の起床時刻の時間差の縮小、アルコールの制限、三食摂取すること、適度の運動などの具体的な方法を提案し、「過去をふりかえるのは体調が回復してから」と言うようにしております。
このような診療スタイルをとっているうちに、症状よりも生活の方を診るようになってきました。「抑うつ」だの「不安」だの「不眠」だのは、まあどうでもいいことです。それらは、十分な睡眠をとり、三食摂って、生活リズムを整えて、といった当たり前のことをすれば、雲散霧消します。ほとんどの「症状」は薬など使わなくても治ってしまいます。「さあ、それではどうするか」、そちらの方が重要になってきます。
そうなると、日々の生業、出会いと別れ、希望と失望といった、平凡だけれど貴重な人生の物語が見えてきます。患者さんは、ひとりひとり、自分を主人公とした物語を生きています。その物語をどのように展開させていくか、そのお手伝いをすることが精神科医の務めです。
私としては、せっかくお時間をさいて私の診察室にお越しになったのだから、うつを治すとか、不安を治すとか、そんなことばかりでなく、少しでも患者さんにご自身の生活をクリエイティブで、光り輝いたものにしていただきたいのです。そうして、ご自身の物語を適度に波乱がありつつも、着実な歩みをもって展開する一編の長編にしていただきたいのです。
治療を薬から療養指導に移す、その結果得た最大のものは、患者さんの生活、患者さんの人生、患者さんの物語が見えるようになったことかもしれません。そして、それは実に私が精神科医になった最初の動機とも一致するものなのです。
そもそも初めから「こころのビョーキ」に関心があって精神科医になる人はいるのでしょうか。私は、むしろ、「こころ」とか「人間」とか「人生」について関心がありました。精神科医になって20年以上たちましたが、この最初の気持ちは今も変わらず、むしろ年々強くなってきています。そのような関心を日々の診療の中で温めていけることは、この仕事を選んだ至上の幸福だと私は思っています。
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