1からのスタート
肥前精神医療センター 吉森智香子
アルコール・薬物依存の患者さんのなかで時々、びっくりするほど回復する患者さんに出会えることがあります。良くなったことに私があきれ返ると余計に患者さんも喜んでくれます。
大学時代から多量飲酒となり、そのまま社会体験もなく20年間飲み続け、今は断酒して6年になり、良き社会人として生活している方がいます(書いても良い旨の同意は得ています)。当院のアルコール依存症の入院治療プログラムは10週間が基本ですが、この方は1年間、立て続けに入退院を繰り返しました。「四季を通して入院しました」と今や笑い話で振り返ることができるのですが、当時は患者さん本人も私も「どうしたら良いのだろう」とかなり苦しい気持ちでした。
その後、「やってみようと思ったことは何でもやってみました」と、プールに行って泳いだり、お寺で座禅を組ませてもらったり、ついには書道やピアノまで習い始めていました。ほどなく仕事も見つけて出勤するようになりました。酒樽の中に浮かんでいた生活からいつのまにか樽を割って地面に自分の脚で立っていたのです。
『物質使用障害のグループ治療―TTM(トランス・セオリティカル・モデル)に基づく変化のステージ治療マニュアル』(共訳)を、このたび星和書店から出版しました。この本は、人が生き方を変えるときは、問題を意識していない「無関心期」、問題に気づいて何とかしなければと考えている「関心期」、行動をおこすための具体的な計画を立てる「準備期」、変化のための行動を起こしている「実行期」、変化を維持する取り組みを続ける「維持期」という5つのステージを通るという考え方をもとにした物質使用障害のグループ治療マニュアルです。わが身を振り返っても行動変容は難しいことです。目に見える行動は変わらなくても、「無関心期」から「関心期」、「準備期」、と行動変化のステージをこの患者さんは歩き続けていたのです。「再発しても自分はゼロではなかったのです。1からのスタートだったのです」と、飲まない生活にどのようにして変わることができたのかを繰り返し聴くうちに、この方が口にしました。
行動変化を起こすには自分の問題行動に目を背けている「無関心期」から自分が問題を抱えていることを受け入れる「関心期」に移行することが最も難しいのです。今までと同じように飲酒はしても、「関心期」、あるいは「準備期」に移行していたこの患者さんは「1」を蓄えていることを実感できたのでしょう。
変化のための大切な「1」をそれぞれの患者さんが蓄えられるように、物質使用障害者の支援に携わっておいでの皆様の日々のご健闘をお祈りいたします。
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