記憶の断章
東京都医学総合研究所 糸川昌成
誰にでも、かすかな切なさを伴って想い起こされるような、心地よい記憶の断片があるのではないでしょうか。それは、大切に反芻されることもあれば、ふとした拍子に脈絡なく脳裏に蘇ってきたりすることもある。記憶の風景が見上げた眼差しの向こうに広がっていることを意識してみると、幼くてまだ小さかった自分にとって、周囲の全てが高くせり立つ存在だったからだと気づかされます。そうした記憶が呼び覚ますわずかに悲しみを帯びたような懐かしさは、時に、かすかな香りさえ伴っていたりもする。記憶の風景のなかでは、まだ若かった父が夕暮れ時に落ち葉を焼いていて、モズの高い鳴き声がする方角を振り向きながら煙のたなびく先の冬空を見上げていました。幼かった日の記憶の切なさに浸っていると、落ち葉の焼ける匂いさえ、焚き火のぬくもりとともに脳裏に立ちあがってきたものです。
そんな小さな記憶の断片のひとつに、ショウリョウバッタを無数のアリが群がって運んでいる風景がありました。死んだバッタにまるで別の命が宿ったかのように、細かく震えながら地面を移動していきます。バッタの鮮やかな緑と群がるアリの黒いさざめきが、幼い自分の麦わら帽子が描く、暗い同心円の影に縁どられていました。夕立が近いことを知らせる土埃の匂いと、耳を覆わんばかりのアブラゼミの鳴き声がだんだんと遠のいて、やがて無音無臭の静寂に包まれます。幼いころから、興味をひかれた対象に強く没頭する習慣がありました。熱中すると、周囲の世界から自分だけが切り離され、時の流れも止まってしまうような経験をすることがあります。
分子生物学と精神医学
私は「分子生物学」が専門で、研究を本業とする精神科医です。普段は研究室でピペットを握って試験管を振り、週一日程度ですが都立病院で臨床をしています。実験は意外と単調な作業の連続であることが多いものです。時には数時間を超える作業を黙々と続けることもあります。無心に実験に取り組んでいると周囲の音も聞こえなくなり、ちょうど幼いころバッタに見入っていた記憶が再現されたような時を過ごします。実験が終わって、初めて尿意や空腹に気づかされることがよくありました。確かめたことはありませんが、外科医やアスリート、演奏家などは同じような熱中と没頭を経験するのではないでしょうか。
「分子生物学」はミクロのレベルで生命現象を解明しようとする科学です。多くの分子生物学者は、ミクロのメカニズムに強い関心があり、微細な違いにこだわる性質があります。特定の分子にフェティシズムを抱いていることも多く、徹底してその分子を追究する中で、偶然にある疾患がその分子の破たんから生じている事実を発見することもあります。私は精神科医ですので、物質へのフェティシズムはなく、疾患への興味がまず先にあり、微細な差異より全体にこだわる傾向があります。私にとって病気を解明したいという欲求がまず本体であり、疾患を分子レベルまで掘り下げるなかで、ミクロのメカニズムを発見しています。つまり、分子生物学者には、ミクロを究明することを本体として結果的にマクロも解明する学者がいる一方で、私のようにマクロが解明したくてミクロを発見する学者もいることになります。
検体への祈り
私は分子へのフェティシズムはないと述べましたが、実は検体へのこだわりは持っています。実験室では、患者さんからいただいたDNAを扱います。手の中にすっぽり収まってしまうほど小さなエッペンチューブを満たした無色透明な液体には、被験者からの祈るような願いが込められています。敬うような気持ちでていねいに大切にDNAを扱う私のこだわりを、フェティシズムと呼ぶ人がいても構わないと思っています。
私の研究室は10名の構成員からなりたちますが、常勤の医者は私だけです。こころのメカニズムを知りたい、脳を解明したい。若い研究者たちはブレインサイエンスへの健やかな好奇心に満ちて、私の研究室の仲間に加わります。私の研究室の専門は分子生物学ではありますが、「病気の研究」をするからには、その背後に望まずして病に倒れた人々の哀しみがあることを忘れないでいてほしい。私たちの研究所は都立松沢病院の隣に建っています。新人が入ると、私はくぐり戸を開けて松沢の敷地へ彼を連れて入ります。6万坪という広大な病院の敷地を二人で連れだって歩むうちに、彼はここで自分が何を託されていたのかを悟り、その後の研究生活を大切な記憶の中の人々とともに過ごすことになります。
臨床家がなぜ研究をするのか
このたび機会をいただき『臨床家がなぜ研究をするのか』という本を書かせていただきました。精神科医が分子生物学を研究する内実を知っていただきたいと思って原稿を作りました。それは、当事者と御家族に読んでいただき、臨床家が基礎科学者と手を携えて、統合失調症を解明しようと日夜研究に挑む意気ごみを知っていただきたかったからです。また、若い臨床家には、研究をする楽しさと発見の興奮を共有していただきたいと思っています。当事者と御家族に少しでも希望を感じていただけたら、そして、若い臨床家のなかから研究に挑戦してみようと思う人がでてきたらという願いを込めて執筆しました。
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