白梅学園大学 西園マーハ文
昨年から教育系大学の教員をしている。精神医学の最初の授業で、病者を鎖から解放した人として、精神医学史上重要なフィリップ・ピネルについて説明し、パリの病院で、女性患者が解放される場面を描いた有名な絵(フルリ画)を紹介した。ところが、パワーポイントで絵を示しても、学生はピンと来ない様子である。「この女性はあまり嬉しそうな顔をしていない」「怯えているようにしか見えない」という声も上がった。これまでこの絵は、理想的理念を示す絵と思ってきたが、言われてみれば確かにそのようにも見える。そこで、学生と、この女性が解放されながら何を思っているかを考えてみることにした。自分だけ鎖を切られると、自分だけ見放されたと思って不安なのではないかという意見も出た。あまり長く病院にいると、今日から自由と言われてもどうしてよいかわからないのではないかというインスティテューショナリズムを読み取る意見も出た。これからどうやって生きていけばよいのか、娼婦になるしかないのでは? と述べた学生もいた。映画「レミゼラブル」のフランス庶民の悲惨な生活を思い出せば当然の意見である。
このようなアクティビティを通じて、精神疾患を「不可解なもの」として外から見るだけではなく、当事者本人はどのような体験をしているかについて考えてもらう授業をしているが、摂食障害の授業の時は、1888年の医学誌Lancetに掲載された非常に痩せた患者の挿絵を示したところ、「何これ!」「不気味!」など、外見への衝撃の声が次々と挙がった。これは、神経性無食欲症という言葉を作ったウィリアム・ガルの論文の挿絵(写真からの作画)で、14 歳女子の上半身裸身の絵である。「男か女かわからない」「年齢不詳」「これで自分のことを綺麗だと思っているならやっぱりメンタルに問題があるのではないか」というような意見が次々と出た。このような感想は、拒食症の患者さんを見た時に多くの人が感じることではないだろうか。患者さんの家族であっても、「怖い」「どう声をかけてよいかわからない」「自分の一言で壊れてしまうんじゃないか」と感じることもある。この14歳の女子も「私は元気」と言ったという記録があるが、極端な低体重でありながら、「元気だから放っておいて」と言われると、無理やり病院に引っ張っていくのには躊躇する家族も多い。そうしているうちにどんどん痩せは進む。ではこのような時、本人はどのように感じているのか。学生たちは、「自分は病気じゃないのになんで医者が来て写真撮ったり騒ぎになるのか。特別視しないでほしいと怒っていると思う」という意見と「写真を撮られるってことは自分って特別? すごく綺麗? と喜んでいると思う」という2つの意見に分かれた。こういった、「自分は人と違っていたいが違っていたくない」という相反する心理は拒食症の両面を表していると言えるだろう。そして、「きっとこの子は孤独」というところでは多くの学生の意見の一致を見た。これも現代の患者さんにも通じることである。
このほど完成した『摂食障害:見る読むクリニック』は、摂食障害の症状を持ちながら受診を迷っている方、受診を勧めたいがどうアプローチして良いかわからないご家族などを対象に、「病院に行ったら何をするのか」「どんなことを話し合うのか」というイメージを持っていただくことを目指している。本書付属のDVDには模擬診察風景が収録され、患者さんと治療者の対話が見られる。ガルの症例と同じく、ご家族にとっては、「一体何を考えているのか」と不可解な患者さんが、専門家とは何とか話をしている様子を見て、「なるほどこういう風に考えているのか」とわかる部分もあるだろう。また当事者の方にとっても、こんなことを考えるのは自分だけ、と思っていたことでも、模擬診察風景で当事者が話をしていれば、「診察でこういうことを話していいんだ」と思えるだろう。
冒頭のピネルの話に戻るが、学生から「先生、どっちがピネルさん?」という質問が出た。確かに、白い服の女性から鎖を外そうとしている男性と、その横に立って、外すことを命令している男性がいる。命令している方がピネルである。ピネルは優れた看護人と一緒に仕事をしていたそうなので、その人のことを描きこんであるのだろうが、あの時代には、理念を唱える人と手を動かす人は違ったのだということを学生の質問で実感した。ガルの報告でも、看護師が付ききりで食事を食べさせたことが書いてあるが、ガル自身が治療面で何をしたかは不明である。「食べなくてはいけません」くらいは言っていたのだろうか。考えてみれば、診察室で食事を食べさせるわけでもなく、診察室で過食嘔吐をする人もいないことを考えれば、摂食障害は、「こうしなさい」という理念と実践の乖離が起きやすい疾患だと言える。このDVDの模擬面接風景では、患者の生活の傍らにあって実際に「手を動かす人」である母親の意見を聞いたり、また、本人から家での過食の様子を聞くなど、できるだけ治療理念と実践の乖離が無いことを目指した治療の雰囲気をお伝えすることを目指した。
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