下ごしらえ、力の引き出しが基本
平井クリニック、新大阪カウンセリングセンター 平井孝男
数年前から、時に料理に手を染めるようになった。といっても、パーティを開く時などに、連れ合いの手伝いをするぐらいである。
その時、思ったことだがまず一番大事なのはメニューを決めることで同じく重要なのはいい素材を購入すること、最も肝心な点が下ごしらえをすることだ。これはいつも痛感させられる。
主婦の患者の悩みの一つとして「何を作っていいかわからない」「主人に聞いても何でもいいという答えしか返ってこない」と言う嘆きをよく聞く。何でもいいからといって作ったとして、後でまずそうに食べられたり文句を言われることもある。料理の種類を決めるのは実は簡単そうに見えて重大な選択と決断で、かなりの責任が伴うのである。だから、世の男性たちは、主婦のせねばならないこの責任の重さを分かってあげ、せめてメニューぐらいは提示してあげた方がいい、と思えてくる。
そう考えると、最初のメニュー決定から、材料の仕入れ、下準備(これもすぐに焼いたり、炒めたり、煮たりできるよう適当な大きさに切っておくなど相当大事なことである)などを合わせて、「下ごしらえ」と呼んでいいのだろう。
また、料理の目的は、勿論、食べて頂く人に美味しく感じてもらえることだが、大抵は素材のうまみが出ている時がお客の満足感を満たしているように思う。
要するに料理の基本は、下ごしらえと素材の力の引き出しということである。
下ごしらえが大事なのは、料理だけではない。精神科治療や心理療法でも事情は同じである。例えば、治療法には薬物療法、精神分析療法、認知行動療法、夢分析、森田療法、家族療法、内観療法などそれこそ切りがないぐらいの方法があるが、どの方法を取っても下ごしらえがきちんとできていないと大抵は失敗する。逆に下ごしらえがしっかりしていると大抵うまくいく。
ただ、下ごしらえといってもこれは相当奥が深く、全部を到底説明しつくすことは紙面的にも不可能だが、超簡単に言うと、①クライエントの話の傾聴、②受容、理解、共感、肯定、③治療動機の聞き出しと同定、④治療抵抗の有無・程度・内容の理解、⑤見通しについての共有(最良の結果、最悪の結末、予後を左右するもの)、⑥ルールの説明と共有、⑦治療法についての説明・話し合いと共有、⑧治療契約の成立、といったことになる。
そして、強調しておかねばならないのは、こういう下ごしらえは簡単にいくものではなく、最初から困難に出会うことが多い。特に、思春期事例、境界例、精神病、パーソナリティ障害といった事例では、この下ごしらえが勝負と言っていいぐらいの難しさがある。
ただ、こうした下ごしらえは、結局の所、治療の準備にとどまらず、治療そのものであるということである。そして、クライエントはこの①〜⑧の作業のなかで、表現能力、聞き取り力、考える力、整理力、決断力、葛藤内包能力、自己肯定能力等の力が引き出されるのである。下ごしらえ段階から、治療中期に至っても、結局、根本はクライエントの力の育成である。
この点で思い出すのは筆者の趣味・遊び体験である。筆者はいずれも浅いのだが結構好奇心が多く色んな事に手を出している。その中でお金を払って学んだものとしては、テニス、ピアノ、囲碁、フランス語などがある。
そこで感心したのが、先生方やコーチの態度である。先生方は、心理士や精神科医以上に治療的なのである。まず、よく観察してくれる、こちら(生徒)の話をよく聞いてくれる、悪いところを指摘するより生徒の良い点を伸ばそうとする、こちらの波長に合わせ一番肝心なことを指摘してくれる(しかも出来るように指導してくれる)といった点が特徴的なのである。要するに生徒の「力の引き出し」に主眼を置いているのだ。こういう先生に出会うと人間的にも好感を抱け、この次のレッスンが楽しみになり、又その時まで練習に励もうという気持ちにさせられるのである。
筆者は最近、『心理療法の下ごしらえ―患者の力の引き出し学―』という拙著を刊行したが、その中で、テニスやピアノのコーチと治療者は似ているということを書いた。それは、こうした学びの実感から来ているのだろう。
最後に学校の先生も、生徒を大事なお客様と考え、生徒の力や自信を引き出すようにしてもらいたいものである。もっともそれは甘やかすということではなく、時に厳しい適切な叱責が一番本人の能力育成にプラスになる場合もあるだろう。
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