日本うつ病センターに至る小生の足跡
六番町メンタルクリニック、日本うつ病センター
野村総一郎
皆様こんにちは。今日はこの5月に開設され、小生が属することになった日本うつ病センター(JDC)についてご案内させていただきます。JDCはうつ病の治療と予防について啓発する一般社団法人です。ここには3つの組織があります。 (1)診療部門(六番町メンタルクリニック)、(2)精神療法センター、(3)産業メンタルヘルスセンター、の3つです。
そもそもこの組織のルーツは1976年にWHO(世界保健機構)が作った「うつ病の予防治療国際委員会」にあります。これが作られた当時は、世界的に見てもうつ病についての関心はお世辞にも高いとは言えず、精神医療業界でも研究テーマとしてきわめてマイナーな存在であり、まして一般身体医療の中でうつ病のことが語られることなどは皆無と言ってよい状況がありました。これを何とかせねばという問題意識がWHOをして国際委員会を作らせ、それに続いて1978年には当時のうつ病医療に関するオピニオンリーダーが結集して、日本委員会(JCPTD)が作られたわけです。そしてJCPTDは爾来35年にわたり啓発活動を続けてきました。
小生も理事を務めてきたわけですので、いささか手前味噌の言い方をお許しいただければ、このJCPTDは世間へのうつ病啓発に一定の貢献をしてきた、と考えております。ただ任意団体としての活動では経済的にも限界があり、今後の活動を巡って理事会の中でも多くの議論が持たれるようになりました。たとえば、単なる講演会活動にとどまらず、うつ病の治療に直接係わる部門も持つべきではないか、あるいは認知行動療法などの精神療法をより有効に活用する手立てを模索したい、企業従業員のうつ病医療について、より積極的な活動を行えないか、等々などの意見が出たことから、組織の法人化を図るとともに、最終の結論として最初に述べた3組織を作ることになったわけです。そして、小生はこのうちの診療部門(六番町メンタルクリニック)と精神療法センターの担当をすることになりました。
ところで全然話が違ってしまうのですが、小生にはこれまで40年あまりに及ぶ精神科臨床の経験があります。考えてみると、ずいぶんいろいろなことをやってきたな、と自分でも呆れる面があります。現在の日本うつ病センターとどうつながるかを分かっていただくために、これまで歩んできた道をちょっと振り返らせていただくと幸いです。
学問のテーマということでは、小生は若い時には多少精神分析的な勉強をしたり、哲学的な色彩の強い精神病理学をかじったりもしましたが、仕事の中心は精神障害の神経化学的な解明にありました。つまり、血液内の成分分析をすることにより、うつ病の診断ができないかと考え種々の物質の測定法に取り組みました。また、抗うつ薬がなぜ効くのかを調べるために、動物の行動解析に熱中した日々も思いだされます。その後は精神障害の身体合併症医療を専門にやる病院(立川共済病院MPU)に赴任したこともあり、いささか精神科医らしくない仕事なのですが、40歳を超えてから麻酔科にローテートして、救急医療や一般内科医療を含む、まさに「切った張った」の医療も7年間も経験してきました。その後は新聞の人生相談の担当者になり、一般の人の「悩み相談」の世界の奥深さを垣間見たり、たまたま防衛省の病院に赴任したために、国防というある意味で特殊な世界のメンタルヘルスを担当するという貴重な体験をしたり、大学病院の管理者になって、多くの診療科にかかわり、医療経営というものの、これも奥深さをのぞき見たりできたことは、本当に良い経験でした。
ただ基本は臨床家であって、臨床で患者さんと接するのが一番好きなことは確かです。そこでこの度、臨床一本の診療所業務に立ち返ったことをとても嬉しく思っています。感覚としては、これまで多くのことを手掛けてきたことは、人生を知り、世の中を知り、人を知るための準備期間であったようにも思えます。いい年して何を言っているのか、と思われるかもしれませんが、これからが本番のような気がしているわけです。まあ、年のことを言えば、体力がいささか落ちていることは事実だろうと思いますが、私がこれまで経験し、失敗し、反省した、多くのことを生かす場であるような気分です。
どうぞ、JDC、六番町メンタルクリニック、精神療法センターと産業メンタルヘルスセンターをよろしくお願いします。
(今回は産業メンタルヘルスセンターのことは紹介することができませんでした。産業メンタルヘルスセンターの所長は前産業医大精神科教授の中村純先生です。またご紹介の機会をいただければ幸いです)
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