精神科医と患者さんの人生
中山靜一
このたび『精神科・心療内科にかかる前に読む本』という本を星和書店から出版していただきました。この本を書くにあたって考えたことを書いてみたいと思います。
(1)「精神科」という言葉
ひと昔前は精神科の病院は「精神病院」と呼ばれていました。昨今は「精神科病院」と呼ばれます。「精神病院」は「精神科病院」と比べて「科」という字がない分、医学の他の科とは違って特殊だという雰囲気が強調されていました。
精神病院は恐ろしい場所であり精神科という言葉は、声をひそめて発しないといけない言葉でした。身体の病気や事故で駆けつける白い救急車ではなくて、黄色い救急車で迎えに来て鉄格子のはまった部屋に収容されたが最後一生出られない。映画『カッコーの巣の上で』のように電気ショックやロボトミーが治療という名のもとで懲罰として行われ死なないと退院できない。死んで棺桶に入れられて退院することを精神病院の長期入院患者さん達は「ガン箱退院」と呼んでいました。
「精神科」というとこの精神病院のイメージがまだ完全には払拭されていないのではないでしょうか。精神の病にかかるということは、とりもなおさず、もう治らないという意味で「精神障害」になることである。精神の病=精神障害=廃人という図式です。たぶん「精神科」のハードルはまだまだ高い。
(2)「心療内科」という言葉
本来の「心療内科」は高血圧・胃潰瘍・気管支喘息・過敏性腸症候群などの、発病や経過に心理的要因の関与が大きい身体疾患(すなわち「心身症」)を扱う診療科のことです。内科医が心療内科を標榜するときはこの通りだと思われますが、不眠症や軽症のうつ病や神経症も治療の対象になっていることがあるようです。
一方で精神科医が「心療内科」を標榜する場合は精神疾患の患者さんが受診しやすいようハードルを下げるために本来の意味と違う「ソフトな精神科」の意味で「心療内科」という名称を使っています。これは本来の「心療内科」の意味と異なっているので正しい使い方ではないというそしりを免れません。精神科医自身が「精神科」というと患者さんに敬遠されるからと、患者さん以上に偏見を持っているのかもしれません。
(3)医師患者関係
統合失調症の患者さんと一緒に生活している家族の方が、患者さんに対して批判・敵意・感情的巻き込まれなどを表現することが多い(すなわち感情表出が高い)と患者さんが不安定になりやすい。逆にそれらが少ない(感情表出が低い)と患者さんの再発再燃が少ないということは今や常識になっています。これは別に家族の方に限ったことではなく、職場の上司や同僚・学校のクラスメイトや教師の方など患者さんの周囲にいらっしゃる方すべてにあてはまります。そして病院やクリニックの医師・ナース・薬剤師・コメディカルスタッフ・受付など事務職の方にもあてはまります。おそらく統合失調症以外の精神疾患の多くでも事情は同様でしょう。
医師が患者さんに対して共感を持って接し、いつも穏やかで落ち着いていて、怒ったり批判したりあるいは巻き込まれたりしなければ患者さんも安心して受診できるでしょう。
同じ薬が処方されても医師の人柄・表情・態度・雰囲気によって薬の効き方に違いが出ます。病気に対する患者さんへの説明の仕方、薬に対する説明の仕方、通院の頻度によっても違いが出ます。薬は脳内の神経伝達物質に働きかけ神経回路を調整して効果を示すわけですが、医師患者関係そのものもこれらに作用するからだと思います。平常心・自然体で穏やかに患者さんに接することができるように医師は自分自身の体調管理がとても大切になります。
(4)事実は小説より奇なり
私の精神科臨床は極めて常識的で平凡なものですが、患者さんの人生は平凡ではありません。波乱万丈という表現がまさにぴったりという方も少なくありません。私は患者さん達との関わりから多くのことを学びました。そして私自身の人生にも大きな影響を与えてくれました。
精神科医の最初の診立てとその後の治療がうまくいくかどうかで患者さんの人生を変えてしまう可能性がありますので精神科医の責任は重大です。患者さんの人生をマイナスの方向に向けてしまわないよう、今後も勉強し精進をしてゆかないといけません。
最後になりますが、今回本を書きながら、いろいろ成書を読み、あらためて大変勉強になりました。しかし私の不勉強と理解不足による間違いや不適切な表現があると思います。ご指摘いただければ幸いです。
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