その場しのぎの治療
井口萌娜
「摂食障害は心と体の両方を蝕む深刻な病気である」ということを、どれだけの医療従事者がきちんと理解しているのでしょう? 治療が確立されているアメリカやイギリスといった欧米諸国にでさえ、知識や診断基準を持たない医者(特に、患者とのファーストコンタクトとなる総合診療医)がたくさんいるのですから、摂食障害の多くが未だ語られない日本では、尚更の事と思われます。
そんな現状下、今現在日本で摂食障害に苦しんでいる当人やそのご家族、そして過去に苦しんだという方々からよく聞くのが、日本でどれだけ「その場しのぎの治療」がまかり通っているか、そして、それがどれだけリカバリープロセスにおいて悪影響であったか、ということです。更に、その治療は命が危険にさらされてからでしかオファーされないと言っても過言ではない印象を受けます。勿論一概には言えませんが。
その場しのぎの治療の例として一番わかりやすいのが、少々極端かもしれませんが、摂食障害の患者(特に低体重患者)をとりあえず精神科に入院させ、とにかく体重だけを増やして退院させ、精神安定剤などの薬を処方するだけし、その後の外来等でのフォローアップに欠如する、という状況でしょう。勿論すべての病院がこのアプローチをしているとは言えませんが、実際にこんな扱いを受けた・受けている人がたくさんいるのは事実のようです。これは例えるのならば、体の痛みの原因を探らずにただ鎮痛剤を飲み続けるのと同じことです。
無論、命の危険にさらされている患者のメディカル面を安定させるための「リフィーディング入院」、そして、過食嘔吐行動を多くの目がある環境で多少なりとも抑えるための「コンテインメント入院」は必要不可欠であり、むしろ、最終手段として存在するべきです。しかしそれより大切なのは、退院後のフォローアップなのです。
必死に病気の声と戦って増やした体重を、退院後の日常生活でどう維持していくのか? 少しでも再学習した「摂食障害行動無しに食べる」という習慣を、退院後の日常生活でどう維持していくのか?
もし、摂食障害が心と体両方の問題であるという正しい認識・知識が備わっているのならば、精神科医だけでなく、臨床心理士や管理栄養士がチームとなって、患者のリカバリーをサポートすることが必要であるということは、一目瞭然でしょう。
摂食障害のリカバリーは、栄養・生理面と心理面、両方が整わないことには成し遂げられません。栄養が足りないことで心理や脳に影響が及び、思考が崩れる→そしてその思考の崩れや脳への影響が摂食障害思考を更にパワフルにさせる→そして悪化した思考状態が、さらなる摂食障害行動へと導く。この延々と続くサイクルに、見事にはまってしまいます。人間とはそういう生き物なのです。
これはミネソタスタディと呼ばれる有名な研究で顕著なデータが出ていますが、長期にわたって飢餓状態に置かれると、それまで心身ともに健康そのものであった人ですら、摂食障害患者に似た思考や心理状態を発達(発症)してしまうのです。
この度翻訳を担当させていただいた『摂食障害の謎を解き明かす素敵な物語 ―乱れた食行動を克服するために―』にも書かれているように、摂食障害の真の問題は食べ物や食行動ではありません。とはいえ、食行動や食との関係が乱れていることも同時に事実です。心理状態が食行動に影響を及ぼしていると同時に、乱れた食行動が心理状態を狂わせているのですから。だからこそ、両面の治療が大切なのです。
そこで必要不可欠となるのが、(フードアドバイザーなど誰でも名乗れる肩書ではなく)きちんと国家資格を取得している管理栄養士と、認定団体に認定された臨床心理士よる介入・サポートです。例えば、体重だけ増やしても、アウェアネスや洞察力(インサイト)が同時に増えない限り、心がついていかずにいつまでも摂食障害のサイクルから抜けだせませんので、心理士はこういった面でのサポートに大切な役割を担うことになります。
摂食障害は決して、単にダイエットが間違った方向に行ってしまった、というシンプルな病気ではありません。「摂食障害に関する9つの事実」でも取り上げられているように、様々な要因が重なっての病気です。しかし、痩せを過度に美化する風潮や、巷にあふれるダイエット情報などが克服の大きなハードルになっていることも否めません。
巷に溢れている数え切れないほどのダイエット法のほとんどは、医学的根拠に欠ける間違ったものです。そしてなにより、その場しのぎのあがきでしかありません。そもそも、ダイエット=痩せること という考え自体が間違いなのですから、無理もありませんね。ダイエット(diet)の元々の定義は「日常の飲食物」です。しかしどうやら、そんなその場しのぎのものにもかかわらず、魅了される人が後を絶たないのが現状のようです。
この様な社会的な風潮がリカバリーの障害となるのは、
- 食べないことを繰り返すことで、満腹・空腹シグナルやホルモン感知システムが崩れ、メタボリズムも崩れ、余計に脂肪を蓄えやすくなる体になり得るといった、摂取・消化のメカニズム
- 脂質を摂る=太る ではないメカニズム
- 特定の栄養グループを抜かすことで全体的な栄養吸収が非効率的になり、結果的に太るメカニズム
- 故に食べないことが如何に非効率であるか
等といった、食べ物の摂取・消化にまつわるメカニズムを科学的・医学的に説明することで正しい知識をインプットする、管理栄養士という存在なしには尚更の事でしょう。
更に、摂食障害治療において大きなカギとなるのが、管理栄養士によるきちんとしたミールプランです。これには多くの専門知識と経験が必要となるため、管理栄養士誰もが今すぐできるというわけにはいきません。しかし、栄養面でのエキスパートである管理栄養士という存在が治療チームにあるのとないのでは、患者当人にとっても、家族にとっても、大きな安心感の違いが出るのは、自身の患者としての経験、そしてメンターと多くの当人・家族と関わっている経験からも確かです。ここで管理栄養士の方々にお勧めしたいのが Herrin, M., & Larkin, M. (2013). Nutrition Counseling in the Treatment of Eating Disorders (2nd ed). Place: Publisher. です。
先日「世界摂食障害の日」で掲載された記事:「一目でわかりますか?」も合わせてお読みいただき、摂食障害という病気と治療に対する正しい知識、その場しのぎの治療が摂食障害を更に慢性化させてしまうという危険性、そして摂食障害治療における臨床心理士・管理栄養士・精神科医からなる集学的医療チームの必要性を、より多くの医療従事者に理解していただきたいと願っています。
井口萌娜(いぐち・もな)
神奈川県で生まれ育ち、2011〜2015年に生物学士号取得のため渡米、成績優秀者として卒業。現在は「摂食障害臨床栄養学」という分野での修士号取得のため、University College London に通い、英国在住。大学院生活と並行して翻訳・通訳をする他、MentorCONNECTをはじめとする組織で、メンターとして摂食障害当事者や家族をサポートしている。また、治療の過程や克服に大事な気づきをブログに綴り、発信している。
http://ameblo.jp/naia415/
訳書:『摂食障害の謎を解き明かす素敵な物語 ―乱れた食行動を克服するために―』(アニータ・ジョンストン著、井口萌娜訳、星和書店刊)
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