第5回
研究所内外での講義について
林 公輔
今回のコラムでは、私が所属している研究所の講義についてご紹介しようと思います。そう思い立ってすぐに、何を書いたらいいか留学生仲間に相談したのですが、「書くことあるの? そもそもあなた授業に出てないじゃない」という返事が返ってきました。はい、確かに今学期、すでに2ヶ月近くが経過していますが、私はまだ講義に1つも出席していないんです。
研究所での講義
研究所での講義内容は、ユング心理学の基礎に関するものからおとぎ話や神話、夢や民俗学といったものまで多岐にわたります。「おとぎ話が心理学に関係あるの?」と思う方もきっとおられるでしょう。私も以前はそう思っていましたし、正直、なんだか怪しいなと感じてもいました。でも今では、おとぎ話の持つ奥深さに魅了されています。
ユング心理学では、おとぎ話は人種や文化の違いを超えた、こころの基本的な骨格・構造のようなものを表していると考えています。人の身体に基本的な構造があるように(例えば手足は2本ずつあり、口は鼻の下にありますね)、こころにも基本的な構造があります。このような、こころの普遍的なあり方を表現しているものとしておとぎ話を捉え、アプローチの仕方などを学んでいくのです。夢や神話も、おとぎ話と同様に私たちのこころを表していますが、そこに表れている意味を受け取るためには、そのための方法を学ばなくてはなりません。例えば、ヘンゼルとグレーテルが森の奥に入っていくことにはどのような心理学的な意味があるのか、夢に出てきた見知らぬ女性は自分にとってどのような意味を持っているのか、といった問いが成り立ちます。その問いにアプローチするための方法、つまり、私たちのこころと交流するための方法論を学んでいるのです。
全ての講義は、研究所内にあるプログラム委員会によって事前に検討されています。この委員会には研究所に所属している分析家だけでなく、学生も2人参加しています。私は学生代表の1人として、この委員会に参加していました。そこでの私の役割は、講義内容について学生の視点から意見を述べることと、学生からの要望を委員会に伝えることでした。ちなみに研究所が発行している今学期のリーフレットには、役職を務めている分析家だけでなく、学生代表の名前と連絡先も記載されています。
プログラム委員会は水曜日の夜に定期的に開催されていますが、お菓子やワインを楽しみながら和やかな雰囲気で行われます。アルザス地方出身の分析家がクグロフというその地方のお菓子を持ってきてくれたこともありました。また、参加者全体にさりげない気配りをされている分析家がいたので感心していたら、日本で生活していた経験があると知って驚いたこともありました。その分析家の配慮を心地よく感じたのは、私の持つ日本人としての側面が呼応したからなのでしょう。日本でよく言われる「空気を読む」ということについては是非があると思いますが、こちらに来てからは「是」の側面を意識することが多くなったような気がします。
講義内容は、担当する分析家の個性を色濃く反映しています。いわゆる講義形式(教室の前方で先生が話し、生徒がそれを聞く)のものから、体験型のものまでさまざまです。私は講義よりも体験型のセミナーの方が好きで、いろいろ顔を出していました。Active imaginationと呼ばれるユング派の技法について体験的に学ぶものや、コラージュを作成するもの、易について学ぶもの(実際に問いを立てて占います)などさまざまです。頭だけでなく身体を使って何かすることも、こころに繋がるためにはとても大切なのです。
朝から夕方まで行われるセミナーの場合には、先生と生徒が一緒にお昼ご飯を食べることもよくあります。天気の良い日には、近くの公園でテーブルを囲んだこともありました。分析家と学生の距離はとても近いのです。ちなみに、チューリッヒでもオープンテラスをよく見かけますが、ヨーロッパの人たちは本当に屋外で過ごすことが好きですね。ヨーロッパの春はとても美しいですから、私もときどき彼らを真似て、友人とカフェのテラスでワインを楽しむことがあります。いい文化だなと思います。とても寒い日に、毛布を巻いてオープンテラスでビールを飲んでいる人を見た時には驚きましたが、さすがにこれは例外的ですね。
講義は基本的に研究所で行われますが、分析家のオフィスで行われる場合もあります。オフィスにはその分析家の個性が表れていますから、私はそちらで行われる方が楽しみです。何人かの分析家で1つのフロアを借りている場合もあれば(そこにはいくつかの部屋があります)、個人でオフィスを持っている人もいます。私の分析家は何人かで1フロア(分析用の部屋が3つと待合室、簡単なキッチンとトイレがあります)を共有していますが、そこはかつて、音楽家ワーグナーの住まいだったそうです。
研究所以外でのセミナー
先ほどさらっと「易」と書きましたが、ユングは自分で易を立てて占いをしており、それについて論じてもいます。チューリッヒには「易」を専門にしている分析家もいて、研究所での講義とは別に、私を含めた5人の学生が集まり、その分析家にお願いして月に一度易に関するセミナーを開いてもらっています。ユング派としての易との付き合い方になりますから、日本の易者さんのスタンスとは異なるのではないかと思います。
このように、気の合う仲間が集まって、研究所の講義以外に個別に分析家に依頼してセミナーを開いてもらうということがあります。個別に行なっていることですから、実際にどれくらいそういった私的なセミナーが存在しているのかはわかりません。ちなみにセミナーの数だけでなく、研究所に所属している学生の人数についても私は知りません。分析家資格を取得するための条件として、ある一定時間以上の講義への参加は求められますが、どの科目を選択するかについては学生の自主性に任されており、全員が参加する「必修科目」というようなものはありませんから、具体的な学生数がわからないのです。(ですから私が全然講義に出席していなくても、なんの問題もないのです。念のため)
研究所の講義以外のセミナーとしては、私は「易」以外にも、哲学を学ぶ趣旨のものと、男性性について考えるもの(参加者は男性のみ)に参加しています。哲学に関するセミナーは分析家の自宅で開催されていて、彼がワインと軽食を用意して私たちをもてなしてくれます。前回はハイデガーの論文がテーマでした。
「分析家ってどんなところに住んでいるんだろう」といった、ちょっとミーハーな気持ちも満たされました。間接照明で照らされた室内には絵画が掛けられ、数多くの蔵書が並んでいます。まるで中世ヨーロッパのような雰囲気で、そこでは時の流れや静寂の重みまでが、私たちの生きる現実とはその濃淡を変えているようです。
男性性に関するセミナーは、女子会ならぬ”男子会”といった雰囲気でなかなかいいなと思いました。事前にテキストを読んで参加する形式でしたが、女性の視線を気にせずに男だけで内緒話をするのも悪くないですね。ちなみにここの研究所は、分析家も学生も女性の割合がとても高いです。今学期のプログラムを改めて確認したところ、研究所の所長をはじめ全ての役職を女性の分析家が務めていて、ちょっと驚きました。
今回は、研究所の内外で行われている講義を中心にお話ししました。講義以外のトレーニングとしては教育分析や、実際にケースを持ってそれについてスーパーヴィジョンを受けることが主なものになります。
教育分析については以前のコラムでも少し触れましたので、興味を持たれた方は是非お読みください。私の住んでいるところから分析家のオフィスまでは徒歩20分ほどの距離ですが、緑も多く、ところどころに湧き水もあり、気持ちよく散歩することができます。利便性という点でも、チューリッヒはとても恵まれた環境を提供してくれます。
林 公輔(はやし こうすけ)
精神科医。医学博士。福井医科大学(現福井大学)医学部卒。慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室、特定医療法人群馬会群馬病院等を経て、2016年3月より、International School of Analytical Psychology Zurichに留学中。
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