htmlメールが正常に表示されない場合はこちらからもご覧いただけます。
http://www.seiwa-pb.co.jp/htmlmail/237_2.html
Vol 237 2022.11
星和書店 こころのマガジン

連載コラム 精神科医はへき地医療で“使いもの”になるか? 香山リカ
今月のコラム 
 今月の新刊 next
マインドフル・セルフ・コンパッション プラクティスガイド

マインドフル・セルフ・コンパッション プラクティスガイド

セルフ・コンパッションを教えたい専門家のために

マインドフル・セルフ・コンパッション(MSC)は生きる上で他者だけでなく自分自身も大切にする、自分を思いやるためのスキル。臨床や研究、人材育成等にMSCを取り入れたい専門家向けガイド。

クリストファー・ガーマー、クリスティン・ネフ 著
富田拓郎 監訳 
山藤奈穂子 訳


定価 5,940円 (本体価格 5,400円+税)

詳しくはこちら
中井久夫 「精神科治療学」掲載著作集

中井久夫 「精神科治療学」掲載著作集

臨床医の眼差し

『精神科治療学』は、中井久夫、高橋良、吉松和哉の3人を編集主幹に迎え、若手の精神科医10人が編集委員となり、1986年に創刊された。それ以来、中井久夫が本誌に書き下ろした45編の著作をそのままに収録。

中井久夫 著

定価 3,960円 (本体価格 3,600円+税)

詳しくはこちら
なぜ抑うつは指数分布に従うのか

なぜ抑うつは指数分布に従うのか

抑うつの分布には一定の法則があった!

「うつ病は時代とともに増えているのか?」について研究した筆者が、「抑うつの分布には数理パターンが存在する」という法則を提言。抑うつを理解するための新たな材料を提供する一冊。

冨高辰一郎 著

定価 1,980円 (本体価格 1,800円+税)

詳しくはこちら
 今月の電子書籍 next
こころの治療薬ハンドブック 第14版《電子書籍版》

こころの治療薬ハンドブック 第14版 《電子書籍版》

向精神薬ハンドブックのスタンダード。2023年最新版!

精神科で用いられる主要薬剤のすべてを1つずつ見開きページで解説。患者さんや家族、コメディカルにもすぐに役立つ情報が満載。

井上猛、桑原斉、酒井隆、鈴木映二、水上勝義、宮田久嗣、諸川由実代、吉尾隆、渡邉博幸 編

定価 4,400円 (本体価格 4,000円+税)

詳しくはこちら
なぜ抑うつは指数分布に従うのか

なぜ抑うつは指数分布に従うのか 《電子書籍版》

抑うつの分布には一定の法則があった!

「うつ病は時代とともに増えているのか?」について研究した筆者が、「抑うつの分布には数理パターンが存在する」という法則を提言。抑うつを理解するための新たな材料を提供する一冊。

冨高辰一郎 著

定価 1,980円 (本体価格 1,800円+税)

詳しくはこちら
自信がもてないあなたのための8つの認知行動療法レッスン

自信がもてないあなたのための8つの認知行動療法レッスン 《電子書籍版》

自尊心を高めるために。ひとりでできるワークブック

マイナス思考や過剰な自己嫌悪に苦しんでいるあなたへ――認知行動療法とリラクセーションを組み合わせたプログラムを用いて解決のヒントを学び、実践することで効果を得る記入式ワークブック。

中島美鈴 著

定価 1,980円 (本体価格 1,800円+税)

詳しくはこちら
 雑誌の最新号 next
精神科治療学

月刊 精神科治療学 第37巻11号

《今月の特集》

精神科臨床と脳科学の距離は縮まったか?─最新研究の現場から─

精神疾患の生物学的研究はどこまで進み、どのぐらい臨床応用されているのか?

本特集は「画像・神経生理」「遺伝子」「神経科学」「炎症」について、抄録で簡潔に説明され、本文で深掘りする、という非専門家でもわかりやすい構成。また、基礎と臨床を俯瞰したオピニオンや、倫理面など本特集を補完する特別寄稿も掲載。基礎研究から臨床までの間を埋める、他に類を見ない特集。

定価 3,190 円 (本体価格 2,900 円+税)

詳しくはこちら
臨床精神薬理

月刊 臨床精神薬理 第25巻12号

《今月の特集》

向精神薬の用量

開始用量・至適用量・維持期用量の決め方について最新の知見をもとに解説した特集!!

各種向精神薬(統合失調症における抗精神病薬・clozapine・持効性注射剤、うつ病における抗うつ薬、双極性障害における気分安定薬と抗精神病薬、不安症における抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬)について、第一線のエキスパートが、治療期(急性期と維持期/再発予防)ごとの必要用量/血中濃度、用量/血中濃度と効果および副作用の関係を中心に解説した特集である。

定価 3,300 円 (本体価格 3,000 円+税)

詳しくはこちら

トップへ

今月のコラム

ロボットに癒やされる日?

  阿部又一郎

2022年5月に、有名な米国の実業家が日本の出生率の減少を憂慮する発言をSNS上で発信した際、それが日本社会を構成する人たちに向けたこころからの共感(エンパシー)であると、一体どれくらい感じ取れただろう。「科学的」データで予測された少子高齢化と労働力不足を懸念するSNS上の言葉に心揺さぶられるうちに、すでに私たちは高性能次世代型人型ロボットの売り込みが周到に準備された、薄暗い欲望の河に飲み込まれている。

前回書いたコラム「双極性と境界性をめぐって―翻訳作業を支えた異国滞在」(星和書店 こころのマガジン Vol.161, 2016)に続いて、今回は『ロボットに愛される日―AI時代のメンタルヘルス』(セルジュ・ティスロン著、2022年)を翻訳出版したおかげで再び執筆の機会をいただけた。すでに何度か来日講演し、著書もいくつか紹介されている原著者の略歴は、訳者あとがき他の繰り返しになるので割愛する。原著は人型ロボット「ペッパー(Pepper)」が華々しく社交デビューした翌年(2015年)に出版されたが、残念ながらペッパーの方は、邦訳出版前すでに日本のメディアから静かに退場していた。

ロボットは、今も昔も研究者の探求心を刺激する。19世紀フランスのアンドレイド(アンドロイド)小説『未来のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン著)の主人公の名もエジソンであった1)。コンピューター誕生直後の1950年代、知識工学が創設された1980年代に続いて、2010年代以降は第三次AIブームと呼ばれている。ロボティクス研究者の石黒浩氏が、自身に酷似したジェミノイド(Geminoid)を発表したのは2006年であった。2022年上半期に、フランス国立自然史博物館の協力のもと日本科学未来館で開催されていた特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」2)は盛況であったときく。

ロボットとの関係性は、臨床や実践に取り組む人間の思考も刺激する。最近、オートポイエーシスの哲学者と、フロイディアンの精神分析家が対話していたが、こちらは同じ「いしぐろ」でも、家族で長崎から英国に戦後移住した作家カズオ・イシグロの『クララとお日さま』で、弱さの引き受けがテーマのひとつとされる3)。日々の暮らしのなかで、ロボットの表象を目にしない日は少ないくらいで、最近では、どう見ても令和版「ドラえもん」としてキャラ設定されている少年漫画誌の連載作品のTVアニメ化が決定されていた 4)。筆者自身は、コロナ禍の期間中、半ば自発的に病院宿直ロボットと化していた(隷従はしていない)が、休憩室のテレビのスクリーン上(ブラウン管とはもう言わないか)で再放映された、宮崎駿の描く人間-ロボットのインタラクションの光景に、しばしば癒やされていた。

日本のロボット文化は、やはり他所からみると特異的なものに映るようだ。オイルショックが起きる前に提唱された「不気味の谷」現象は、今世紀に入って世界的に知られるようになった5)。西欧において、機械(ロボット)に仕事を奪われるという不安、ロボットが人間に反乱を起こし、逆に支配しようとするディストピア的恐怖を描いた作品は、SFに限らず、かなり普遍的にみられる。いまや日本を代表する漫画家である、ゆうきまさみの初期作品に、人型ロボット(いやアンドロイドか)をテーマにした学園パロディがある6)。作品は、あまりに精密に人間に似せて作られた人型ロボット=アンドロイドが、人並みに抜けていることをこれ以上なく描写した80年代後半の傑作。「人並みに愛されるほど、よくできた高機能人型ロボット」という、日本の戦後ロボットマンガにほぼ共通してみられる発想は、西洋の伝統的な技術論には、ほとんどみられなかったようである7)

ここから先の、ロボットと日本的心性というややこしい考察には入り込まないが、ロボットについて書き出すと、どうもノスタルジックな調子を帯びてくる。最新テクノロジーのなかに、アナログ的な懐かしさが喚起される仕組みなのだろうか。西垣通氏によると、情報科学のパイオニアたちに通底するのは、マッドサイエンティストのような冷たさではなくて、一種の熱いナルシシズムであるという8)。自己のアバター(分身)である自動機械人形のなかでは、自己と他者が無限に入れ子になっている。その眼差しを通して自己を、生物を、社会を、世界を眺めたいという欲望こそ、じつはエロティックな時代精神の底流をなすものであるという指摘から、すでに30年近く経過している。

ここ数年、精神医学関連の諸学会でも、ロボットを媒介にした支援介入法をテーマにシンポジウムが組まれるようになった。こうしたシンポでは、最新テクノロジーを搭載したAIロボットの利用を通じた、遠隔精神医療のポテンシャルと、将来的に早期介入も含めた精神医療改革にもつながる可能性という、明るい未来が(いくらかの留保とともに)語られる。特に、対象によっては、人間のセラピストが関わるよりもロボット相手の方が、とりわけ恥にまつわる感情や親密な内面を自己開示しやすいことがエビデンスとして示されてきている。ロボットが将来、人間にとってかわることは制度的にありえないにしても、メンタルヘルス系専門職の負担軽減(または代理)が大いに期待されている。果たして将来、心理療法家の「ラッダイト運動」は起こるだろうか?

近い将来、メンタルクリニックを開業するとなると(筆者は今のところ予定ないが)、治療環境としてどんな設定を考えるだろう。最新の診断基準がインストールされて、用語も適宜アップデートしつつ、うつと不安に対する簡単なソクラテス式問答と、共感的受け答え(まさにワイゼンバウムの制作したELIZA令和版!)まで実装された卓上小型汎用ロボットが開発されれば、従来の電子カルテや古典的な寝椅子の代わりに導入を検討するだろうか。ドラえもんのひみつ道具「あんきパン」の開発を待つよりも、はるかに実現性は高そうだが。懸念されるのは、デジタルツールを通じて生活習慣が管理されると、かえって生の感覚や主観的満足感が減じうる可能性と、ロボットがアップデートされている限り、データ情報がつねに外部にアクセスされうる危険性、すなわち秘密情報の取り扱いという倫理的課題であろう。

臨床のスーパービジョンも、いずれは遠隔支援型ロボットで代用されるだろうか。確かに、すでに一部は、オンライン研修で十分に可能である。筆者の周りには、老境に達していても、なお一層の診断面接の達人芸を垣間見せたり、農園や庭仕事に出かけて土いじりの癒やし効果を再発見して心躍らせる先達の臨床医がいる。いつの日か、彼(彼女)らの所作やコトバを記憶貯蔵したり、機械学習したロボットが登場したら、そこにかつての馴染みの患者さんたちは来院し続けるだろうか。それは、ないだろう。診察室内に残された写真やモノに包含された記憶が想起されたり、新たな別の治療関係のなかで再現されることはあっても。そもそも、ロボットは人間のセラピストのように、話を聴(聞)いてもらった体験をもつのだろうか。「誰かの話を聞くためには、別の特別な誰かに話を聴いてもらっている」経験が、心理(精神)療法の前提であるならば9)、ロボット開発者もセラピストの訓練を受ける必要があるのだろうか? 今後、ロボットと人間の関係を考えていくには、さまざまなプロジェクションのはたらきも大事な課題のひとつになるだろう。

今回の翻訳で最後まで悩まされたのが、第7章「神の似姿、預言者的イメージ」であった。推敲を続けていて、学生時代に受講した教養課程の美術史の授業で、『フランケンシュタイン』の著者メアリー・シェリーの想像力をめぐる逸話を紹介してくれた故・若桑みどり先生(1935〜2007)の教えを思い出した。校正が佳境に入る2020年のステイホーム期間中、時短営業中の書店内で先生の名著が新・新装版で復刊されていたのを見出して10)、懐かしさで励まされた。稀有なる存在であった先生に感謝!――そんな追想の機会を、困難な状況下で誰にでもやさしく提供しうるAIロボットならば、未来のアバター共生社会も悪くはないけれど。

参考
1)特集21世紀に『未来のイヴ』を読む.ふらんす2022年9月号,白水社.
2)https://kimirobo.exhibit.jp
3)河本英夫:創発と危機のデッサン-新たな知と経験のフィールドワーク.学芸みらい社,240-241,2022.
4)TVアニメ「僕とロボコ」公式サイト:https://boku-to-roboco.com
5)森 政弘:不気味の谷.エナジー誌,エッソ・スタンダード石油,Vol.7,No.4,33-35,1970.
6)ゆうきまさみ:究極超人あ〜る. 少年サンデーコミックス,小学館,1986〜87.
7)フレデリック・カプラン. 西垣通(監修),西兼志 (訳):ロボットは友だちになれるか―日本人と機械のふしぎな関係.NTT出版,2011.
8)西垣通:デジタル・ナルシス: 情報科学パイオニアたちの欲望.岩波現代文庫,2008.
9)東畑開人:聞く技術 聞いてもらう技術.ちくま新書,2022.
10)若桑みどり:薔薇のイコノロジー(新・新装版).青土社,2020.

阿部又一郎(あべ ゆういちろう)

1999年千葉大学医学部卒業,精神科医。2008年フランス政府給費生としてエスキロール病院,ASM13ほかにて臨床研修。医学博士。2014年,東京医科歯科大学精神行動医科学助教を経て,現在,伊敷病院勤務,東洋大学大学院非常勤講師。訳書に『ロボットに愛される日―AI時代のメンタルヘルス』(星和書店刊)などがある。



連載コラム 精神科医はへき地医療で“使いもの”になるか?

 〈第3回〉

早くも行き詰まってるんです…(前編)

  香山リカ

4月にへき地診療所に着任して半年がたった頃から、日々の診療でちょっとした行き詰まりを感じるようになった。
 ――そりゃそうだろう。これまで文系の大学教員と精神科臨床の仕事を、しかも自分をさんざん甘やかしながらやって来た人間に、へき地のプライマリケア医なんか務まるわけがないんだ。
 そんな声があちこちから聞こえてきそうだ。
 しかし、私の「行き詰まり」はプライマリケア医としてのそれではない。いや、正確に言うと、これまでも何度か話してきたように、内科、小児科、皮膚科や眼科などの知識や技術は最初からほとんどないのだから、プライマリケア医としては行き詰まるほどにも足を踏み出せていない、というのが実際のところだ。
 月替わりで都市部の病院から地域医療実習で派遣される卒後2年目の研修医とともに外来診療をするときには、ここぞとばかりに「先生、この人の検査項目、これで足りないものないですかね」「このレントゲンのこのへん、肋骨ですか、それとも結節影ですか」と彼らに教えを乞うて、ちょっとあきれた顔をされている始末。人間、プライドを捨てればなんでもできる。
 だから、行き詰まりの原因はそこではない。
 では、何なのか。自分でもまったく予想もしてなかったことなのであるが、私は精神科医として、この山奥にある診療所で行き詰まっているのである。「えっ、精神科医はもうやってないんだろう?」と訝しまれると思う。もちろん、いまいる診療所の標榜は、私が着任する前も後も「内科・小児科・外科・整形外科・リハビリテーション科」だ。ホームページには「年齢、性別、科を問わず診る“総合診療”体制で診療しています」とは記されているが、どこにも「精神科も始めました!」「精神科医、雇いました!」という文字はない。
 それにもかかわらず、この山奥にひっそりと建っている診療所に、ほぼ毎週、「精神科医に診てもらいたくて」という初診の患者さんがやって来るのだ。それも「毎週ひとり」というペースではなく、毎週数人、これまで最高で「1日4人」の精神科新患が来たこともあった。さらにその人たちのほとんどが、数十キロの近隣市町村から120キロ以上離れた大きな都市、さらに200キロ、300キロと距離のある地域から車で何時間もかけてやって来るのである。
 その人たちがこの診療所を受診した理由は、みなだいたい同じだ。あらかじめ言っておきたいが、彼らは決して“精神科医の名医”を訪ねてきたわけではない。ほとんどの人は私がどこの誰だかも知らず、「困っていたら知り合いに『穂別に行ってみれば』と言われてきました」と話す。

では、どうして彼らは困っていたのだろう。その理由はふたつに大別される。ひとつは「地元や近くには精神科がまったくない」、もうひとつは「近くに精神科はあるにはあるが、電話したら初診は数か月待ちだといわれた」だ。前者は広大かつ医療過疎が深刻な北海道ならではの事情、後者は都市部でも起きている精神医療全般の事情であろう。いずれにしても、そうやって“精神科初診難民”になっていることを友人や親族に話すと、「穂別診療所にいる精神科医なら、予約なしでその日すぐに診てくれるらしいよ」と教えてくれる。「ここから穂別まではクルマで4時間。でも、クルマで1時間の町の精神科の予約が取れるのは2か月後。じゃ思いきって行ってみるか」とやって来た、というわけなのだ。

たしかに、私の勤務する診療所は予約制ではない。「地域の人がいつでもどんなことでも気軽にかかれる診療所」というコンセプトと予約診療とはなじまない。それに、スマホどころか携帯電話も持ってないという高齢者も多く、都会の病院のように「予約はアプリで」とでもなったら大混乱が起きるだろう。
 先日からインフルエンザワクチンの接種が始まり、一般診療に混乱を来さないように実はそれだけは予約制になっているのだが、それも「お知らせと申し込み用紙を全戸に配達し、用紙を実際に診療所に届けるかFAXする」という超アナログ方式で行っている。「用紙を配る? そしてそれを持参してもらう!?」と驚いたのだが、保健師や事務部門の人たちは「電話にすると殺到して回線がパンクするし、ネット申し込みなんて無理なので、足を運んでもらってその場でいっしょに確認しながら予約するのがいちばん確実なんです」とニッコリ。「ああ、ここで何かを予約制にするのはたいへんなことなんだ」と実感した。
 そういった診療所のコンセプトや地域ならではの特性もあって、ここは予約診療は行っていない。それは間違いない。とはいえ、高血圧症や糖尿病などでの定期受診から「じんましんが出た」「昨夜からおなかが痛くて」「いまキツネにかまれた」という臨時受診のケースまでが予約なしに訪れ、今ならその合間に発熱者がコロナの検査に並び、ワクチン接種もあり、ときには救急車までが到着してしまうので、常勤医ふたり体制でも毎日の外来はかなりの綱わたりだ。日によってはコロナの検査を行う裏口のスペースとケガなどの対応をする処置室、それと一般の診察室とを文字通り走り回っているときに、さらに病棟からの呼び出しが、などということもある。「ああ、へき地診療所といっても、医者がいちにち数人しか来ない患者さんを文庫本でも読みながらひたすら待つ、というんじゃないんだな」と今さらながら自分のイメージの偏りを思い知らされる。

さて、「精神科医がいると聞いて来ました」という人たちは、そんな中でやって来るのだ。おそらくその人たちも、待合室にけっこうな人数の人がいて、耳が遠い人のために看護師が大きな声で「タカハシさーん、血圧測りに来てください。ケ・ツ・ア・ツ!」と呼んでいたり、日本脳炎などのワクチン接種を怖がって幼児がギャンギャン泣いていたりする光景に驚くのではないだろうか。そして私自身、積み上げられたカルテの中にはさまれた「長年の夫からの暴力で悩んでいます」などと記された初診の問診票を見つけると、「この人を……どうやって何分くらいかけて診ればいいのか……」と途方に暮れてしまうのであった。
 いまは苦肉の策として、「内科や外科の診療をひと通り終えてからの診療とさせていただいてよいですか」と尋ね、午前や午後の診療の最後まで待ってもらうことにしている。診療所外にはカフェや本屋など時間をつぶせる場所は皆無なので、喧噪の待合室で何時間も待たせるのは心苦しいのだが、現時点ではそれしか手がない。
 「精神科を」と受診する人たちの問題や疾患はさまざまだが、特徴的なのは躁うつ病の躁病相と思われる精神運動興奮状態や統合失調症の初発など、入院加療の適応になるケースが少なくないことだ。非常勤で勤務していた東京の精神科ではほとんど見ることがなくなっていた激しい幻覚妄想状態や興奮状態の患者さんを前に、「私って精神科の単科病院に勤めたんだっけ」とめまいがしそうになることもしばしばだ。語弊があるかもしれないが、「これじゃ精神科医時代より精神科医らしいじゃないか」と一日が終わる頃にはヘトヘトになることもある。
 その人たちは、おそらくそれ以上、行動が激化して暴力の危険性などが高まれば、家族も警察に通報して、精神科の当番病院を紹介されて受診し入院するケースだ。しかし、まだそこまではいかず、精神科の一般外来を受診しようと家族が連絡すると、「初診は3か月待ちになります」などと言われる。それでやむなく誰かに相談し、「ああ、穂別診療所なら予約なしでいつでも診てもらえるよ」と言われて、わらにもすがる思いでここに来たのだ。

とはいえ、この診療所にはもちろん精神科救急を受け入れられるベッドはないし、鎮静系の注射剤もない。地区にある調剤薬局にある向精神薬もきわめて限られている。それに何より、「今日はクスリ出しますから明日また来てください」とクルマで何時間もかけて来た人に言うわけにはいかない。結局、「このまま帰すのはとてもじゃないが心配」というケースは、少しでも近いところの精神科の医療機関を探して電話をし、入院も含めた診察の交渉をすることになる。
 そしてさらに問題なのは、初診で入院までの必要はないと判断し、「あとは何か月か待ってもお近くの精神科専門クリニックに通った方がいいですね」と伝えても、「ここに来ます」と言うケースをどうするか、ということだ。「ここは精神科の専門的な治療はできないんですよ」「でも、総合診療科ですよね。科は問わないと書いてありますよね」と言われたら、返す言葉もない。
 ついに私は、診療所の所長に「精神科の診療を希望して来る方がけっこういて……。なるべく応じようとは思ってるんですけど、これ以上、増えたらいつもの受診の人たちに迷惑かけてしまうかもしれません」と悩みを打ち明けることにした。

 (後編に続く)

香山リカ(かやま りか)

1960年生まれ。精神科医として臨床を行うかたわら、エッセイを執筆したり大学心理学部教員を務めたりしてきた。2022年4月からむかわ町国民健康保険穂別診療所副所長。医師名は中塚尚子。『精神科治療学』37巻3号「〈特集〉なぜ精神科医を志し、その分野を自らの専門としたのか」に掲載の論文に、総合診療医としてへき地医療に転身するいきさつが書かれている。

トップへ


ご購読ありがとうございます。配信停止・アドレス変更は、こちらのページから お願いします。星和書店
Edgeブラウザでは、正しく表示されない場合がございます。
 
星和書店 学会情報 過去のコラム Twitter