日本に天才は少ないといわれているけど、いじめていることを認識していない
「いじめの天才」は、「勝ち組」にたくさんいるようです。

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医療は、商売になりえない

医療は、商売になりえるのでしょうか。 医療も商売、収益をあげなければならない、収益の上がらない診療科は冷遇されてしかるべきだ、という風潮があります? 通常、会社を作る場合、その会社の製品を沢山売ることを、そして収益をあげることを目標とするでしょう。そうすると、需要が大きいもの? 多くの顧客を獲得できる見込みのあるもの、を作ろうと計画するはずです? 顧客の数が人口比率で多いほどいいわけです?
さて、医療を考えますと、病む人は少なければ少ないほど理想です。罹病率は、少ないにこしたことはありません。みんなが病人だったら、大変困るわけです? ということは、医療の顧客の数は、少ないほうがベターということです。
次に、商売は、顧客からお金を沢山いただくことを考えるわけです? しかし病者は、とても弱い存在です? お金持ちの病人もいるでしょうが、病気になると、とても身体も心も弱くなります? 社会的弱者なわけです。この弱い人たちから?お金を儲けることを考えるのは、どうでしょうか。
現在、大学病院なども、独立法人ということで、収益を求められるようになってきました。病院が収益をあげようと、コンサルタントに相談するのでしょうか、病気で来院される人を患者様と「様」づけし、患者様が増えるのをねらいます。これでは、葬儀屋と似ていますね。
病気はできれば減るほうがいいし、そうなるように医師たちは努力しています。患者数が増えることは、いいことではないでしょう。
病院もまた、ビジネスになると、病院の売上を増やそう、利益を出そう、とするので、検査を増やしたり、いろいろと画策し、医療収入を増やそうとするでしょう。
これでは、政府の考える医療費削減は、期待はずれの政策に終わるのではないでしょうか。
病んだ人たちへのケアーの原点は、教会などで病人をみてきたというボランティア活動だったと思います。私たちは、検査のたらいまわしではなく、医師からの直接のあたたかい診察・治療を求めて病院に行きます。病院側とすると、医師が一人一人丁寧に時間をかけて診ていると、今の診療報酬では、赤字になります。したがって、3分診療といわれる現象が仕方なくあらわれてくるのでしょう。
こう考えますと、理想的な医療は、ビジネスモデルには、ならないのではないでしょうか。