そんなの関係ねぇ!
水泳をするわけでもないのに、海水パンツのようなパンツ一つはいただけの筋肉質の男性が、いきなり画面にでてきて、「そんなの関係ねぇ、、そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ」と繰り返していました。
何の悩みも存在しないエデンの園から悩み多き世界に追放された人間ですから、日々、いろいろなことで心を悩すことも、定めなのでしょう。一言で悩みといっても、痛みを伴うもの、いやな気分を引き起こすもの、など、その意味するところは、様々であるでしょう。たとえば、昼食に、ハンバーガーを食べるか、カレーを食べるか、選択に悩むこともあるでしょう。ハンバーガーを選択して、貴重な一日の昼食代を使い、それがすごくまずくて、後悔し、ああ、カレーを食べるんだった、と午後の時間、ずっと悩んでいることもあるでしょう。そうすると、いやな気分になって、そのうち、昼食代を損したことは意識から消えていくのですが、いやな気分は、その後も続いて、何でいやな気分なのかも分からないのに、いやな気分がつづく、ということもあるでしょう。このような感情は、心のなかで、体験した事実とは別の場所にしまわれているようです。心のある部分にしまわれているいろいろな感情が、体験した事実とは関係なしに、心の中に出てくることがあるようです。あるとき、ふと、この気持ちは、以前どこかで感じたことがある、と思うのですが、それが何か思い出せないということはないでしょうか。
何で悩んでいるのか、どうしてこのような心の痛みがあるのか、理由はわからず、気分の悪い状態が続いていることがあります。精神科の治療でも、いろいろ治療を試みてきています。脳の中のニューロンにおける問題と考えられるとして薬物が処方されます。心理的には、その原因が何かを、自由連想や催眠など、いろいろな手法を用いて突き止めようとする努力もなされてきました。ただ、理由が分かっても、心の痛みがなくならないことも多いということから、いろいろな心理療法が出てきました。
悩んでも解決できないこと、原因が分かったとしても解決できる問題ではないこと、など、多々あります。仏教に素人の私が仏教のことを言うのは、大変僭越なのですが、お題目をとなえると救われる、という教えがあったと歴史書にでていました。悩んでもしかたない、お題目をとなえることで、煩悩に左右されないお釈迦さまの悟りの境地にちかづきたい、ということでしょうか。
アメリカの心理療法では、今、仏教的な考えがずいぶんと取り入れられています。フロイト的な精神分析から、マインドフルネスへ、ということでしょうか。
日本の森田療法にも、作業という段階があって、悩みを持っていても、それを解決するというのではなく、ある作業を黙々とすることによって、その悩みにとらわれなくなる、といわれています。
小島よしおが「そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ」と拳を振り回しているパフォーマンスが子どもにも人気があるようです。悩みの原因をいろいろ詮索するのではなく、そんなの関係ねぇ、と言うことで、心の中からその悩みを追い出してしまう、という悩みに対する実にプラクティカルな手法のように思います。1回ではなく何回か言うというのがみそです。一回では、なかなか心から悩みがいなくなってくれません。何回も言うと、なんとなく気分が良くなってきます。いやな気分になることがあったら、そのいやな気分に向けて、何回か「そんなの関係ねぇ」と繰り返してみると、意外に気分が晴れるかもしれません。なにしろ、気分の悪いことだらけの今日この頃、うつ気分にさせられることが多い昨今、平和を願うオッパッピーは、ただのお笑いパフォーマンスではないと感心させられました。
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