将来のリターンが見込めることだけ、やればいいでしょうか
この9月も沢山の学会がありました。中には、巨大な規模になってきた学会もあります。昔、学会では、1つのホールにいて、発表や講演の大部分を聞くことができました。最近は、学会によっては、規模が大きくなり、いくつものホールで同時に発表が行われているため、ほんの一部分しか聴講できないということがあります。
東京国際フォーラムで開かれた日本心理臨床学会では、当社の著者のお一人がご講演されるので、時間よりかなり早くご講演が行われる部屋に向かいました。何と、整理券を持っていない人たちの列が長〜く伸びていて、「最後尾はこちら」という看板を持った人が列の最後を示していました。バーゲンセールなどでは、長い列ができていることがありますが、それを見て、並んでまで買いたくないなあ、といつも思っていましたが、今回は、長〜い列の最後に30分ほど並んで、御講演を聞いてきました。立ち見の先生方も、長い時間、熱心に御講演を聞いていられました。クライエントの方々のためになることを学ぼうという熱意が伝わってきます。
学会に行ってみると、随分たくさんの先生方がいるんだなあ、と思えるのですが、実際の臨床現場は、受診希望者の需要を満たしてはいないようです。東京では、受診希望者がクリニックに電話すると、3か月先の予約しか取れないというようなこともあるようです。1か月待ちは、当たり前、という状況のようです。今の医療制度では、保険の適用は、数少ない医師の診察に対してだけですので、どうしても患者さんがあふれてしまいます。
自費で心理療法を受けるというのは、なかなかつらいものがあると思います。どの病気でも、病気の状態の時は、経済力も落ちていますので、その時に治療費を身銭を切って払うのは、厳しいものです。
イギリスでは、精神科医療に政府が支出する金額は、がんの医療にかける金額とほぼ同じくらいだということです。3大疾患の一つと受け止められています。まったく日本とは比べられないですね。政府がお金を出さない、医師の数は少ない、医師以外の職種が保険を申請できない、となると、どうしたらいいのでしょうか。
治療現場では、受診してくる患者さんだけを治療します。来ない人を治療することは、ないわけですね。きっと、こころの病を抱えて受診しない人は、沢山いると思います。家族が受診させたくても、それができない場合も多々あるでしょう。首を絞められたり叩かれたり、暴力を振るわれる、まったく話もできない、という状況にいるご家族も多いと思います。当社の本をお読みいただいたご家族から、ときどきお電話をいただきます。ご相談を受けても、答えが見つかりません。
医療政策がすぐさまいい方向に急変することもないでしょうし、治療者の数が飛躍的に増えるわけでもないでしょう。何か方法はないのでしょうか。例えば、治療施設に行かなくても、ご家族が集まれる場所があったらどうでしょうか。病院によっては、ご家族のための家族教室のようなものがあります。受診していなければ、そこに参加することもできません。日曜日など、大学とか官庁のビルなど、ガラ〜ンとしてます。便利な場所にある庁舎の会議室など、解放してくれて、病気別の御家族が集まれる、そこにはボランティアのセラピストがいる。大学院生とかすでに現役を終えたセラピストが、ボランティアでご家族の集まりのお世話をする。治療者の一方的なサイコエデュケーションよりも、ご家族同士のやり取りが、とても効果的なこともあるようです。もちろん、他者を批判しない、相手の話をじっくり聞く、相手の話に反論しない、自分の経験を話す、など、ルールはボランティアの治療者がしっかりとみなさんに伝えることは必要でしょう。現在のような不況の時代、自分の利益が優先されていますが、見返りを求めないボランティア精神がすごく大きな力になってくれるような気がします。
人気抜群の女性の経済評論家が、ある新聞に書いていました。リターンがあるかないかで、自分の大事な資源を使うかどうかをきめろ、というのです。リターンが見込めないものには、投資をしてはいけない、時間を使ってはいけない、というのです。明快と言えば明快ですが、この考え方が額面通りに受け止められ、信じ込まれてしまうと、どうなるんでしょうか。親が子供に、利益にならないことはしていけないと、教えるとしたら。こう考える人が、医療の世界にもいるとしたら。ボランティア精神も、浪費だ、と言われそうです。何の見返りも求めない無償の愛の行為は、時代の流れの中で埋没してしまうのでしょうか。
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