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■特集 快と不快

●快と不快の生物学:状態論として
大沢文夫
 脳科学の一つの重要な課題である快・不快の研究を,生物全体を視野に入れて状態の生物学の一環としてとらえたい。近年,構造と機能の生物学が急速に発展してきた。今後それに重ねて分子レベルから細胞,個体レベルにわたって,状態論を建設して生きものについての理解を深めたい。
key words: structure-state-function, pleasant or unpleasant, biology of the state, autonomous spontaneous, tight coupling or loose coupling

●線虫の快と不快:感覚シグナルの受容,統合, 学習・記憶の研究から見えること
毛利亮子 森郁恵
 線虫C.elegansは,単純な神経系によって,多様な快,不快に応答し,それらに対して学習・記憶能力を持つ。さらに,その全細胞系譜,全神経回路網,全塩基配列がすでに決定済みであることからも,神経系の発生・機能に代表される高次生命現象を個体から遺伝子レベルまで一貫して研究するための最適なモデル生物である。これらの利点を生かして,温度走性を制御する神経回路モデルが提唱され,温度走性に関与する遺伝子も次々とクローニングされてきており,哺乳類をはじめとする高等動物では非常に困難だと予想される任意の現象を,神経回路レベルで包括的に理解することが実現されつつある。また最近では,快と不快との感覚統合に関与する遺伝子の存在や,快と不快の連合学習の系についても報告されはじめている。我々は,C.elegansの温度走性の研究を通して,高等動物の感覚受容や学習・記憶機構の理解へ通じる分子生物学的知見を得たいと考えている。
key words: C. elegans, nervous system, thermotaxis, sensory integration, learning and memory

●ハエの食卓:食をめぐる快と不快
尾崎まみこ 藤川和世 瀬戸篤
 特段の美食家ならずとも,食事の味と匂いに関する快と不快は,日ごろのありふれた関心事として意識に上ることであるが,安全かつ豊かな食生活を享受している我々人間はもとより,自然界で採餌活動を繰り広げる昆虫にとっては,味覚・嗅覚を通じた快・不快の身体反応は,目前の食物が有益であるか有害であるかを判断する切実な手立てとなっている。栄養物の快刺激に身を委ね吻伸展反射を起こして食物を摂取するか,毒物の不快刺激に反応して嘔吐・排泄をもよおすかは,まず,受容器レベルにおいて,昆虫の味蕾ともいうべき味覚感覚毛に格納されている「糖受容細胞(栄養物検出細胞)」と「第5細胞(毒物警告細胞)」のどちらが活動し神経応答を脳へ送るかに依存する。さらに,脳において,もたらされた味覚情報に嗅覚情報が加味されると,摂食行動閾値が修正されることになる。この閾値修正は,味覚情報と嗅覚情報が共存するときならず,過去に経験した味覚と嗅覚情報の連合記憶が呼び出されることによっても,同様に行われる。
key words: taste, olfaction, feeding, blowfly

●生物社会における快と不快:ミツバチの適応戦略,社会性行動と助け合い
笹川浩美
 無脊椎動物に属する昆虫類を,快か不快かでとらえたら?誰もが知っている昆虫という生物は,はたして情動(emotion)を持ち「快か不快かの科学」の対象になるのだろうか?生物界を階層構造としてとらえたとき,昆虫類は様々な生活様式を持ち多様性に富む,興味深い生物のうちの1つである。地球上で最も繁栄している生物,昆虫類が外部環境に対して獲得した適応戦略について,社会性を持つ昆虫ミツバチ(honey bee)をモデル生物として,ミツバチ社会を快と不快の切り口から科学する。動物の社会性行動(social behavior)の発現やその発達,集団の秩序維持や協調制御は,大変興味深い生命現象の一つである。人に代表される哺乳類を彷彿とさせる類似した社会性行動を持つ昆虫,特にミツバチの社会性をモデル系として,個体からみた快と不快,集団としての快と不快に焦点をあて,社会性行動の獲得・発現・発達や進化との関係を探る。
key words: honey bee, social behavior, communication, hygienic allo-grooming behavior, recognition

●快・不快の神経機構
田村了以 小野武年
 OldsとMilnerが脳内自己刺激行動を発見してから約半世紀経過したが,それ以降の研究により,脳内には動物が電気刺激を好んで求める(快情動を誘起する)報酬系と回避しようとする(不快情動を誘起する)嫌悪系のあることが明らかにされた。報酬系は内側前脳束を中心とした領域に,嫌悪系はSchutzの背側縦束を中心とした室周囲系にある。脳内自己刺激行動発現に関する代表的な仮説として,脳内自己刺激が動因と強化の両神経機構を同時に賦活するとの恒常説と,強化機構だけを賦活するとの快楽説があるが,報酬系に含まれる視床下部外側野では,多くのニューロンが呈示された刺激の強化特性(報酬性と嫌悪性)に識別的に応答する。報酬系では,noradrenalin,dopamine,opioid,acetylcholineなどの物質が快情動発現に,また嫌悪系では,acetylcholineが不快情動発現に関わっている。
key words: reward, punishment, reinforcement, lateral hypothalamic area, intracranial self-stimulation

●快と不快とドーパミン
西昭徳
 摂食,飲水,性行為などの生理的刺激,中枢刺激薬などにより腹側被蓋野や黒質のドーパミン神経は興奮し,側坐核や新線条体におけるドーパミン放出が促進される。ドーパミン作用の増強により快感を味わうことができるが,不快な場合にもドーパミン作用は増強する。つまり,ドーパミンが快や不快という感情そのものを誘導するのではない。Schultzは,実際に得られた報酬が予測した以上の報酬であった場合に正の予測エラーとしてドーパミン作用は増強し,予測以下の報酬であった場合に負の予測エラーとしてドーパミン作用は減弱するという予測エラー説(prediction error theory)を提唱している。一方,中枢刺激薬などの使用によりドーパミンが過剰に放出されると線条体神経の機能異常をきたす。ドーパミン過剰に対する線条体神経の応答分子機構,ドーパミン/DARPP-32情報伝達系の変化など最近の知見についても紹介する。
key words: dopamine, pleasure, reward, addiction, DARPP-32

●薬物依存からみた快と不快
廣中直行
 ヒトに乱用される薬物の多くは,動物の薬物自己摂取行動の頻度を増加させる強化効果を示し,中脳一辺縁系のdopamine神経を中心とする脳内の報酬系を賦活する。従来このような薬物は「快感」を起こし,それが薬物に対する強迫的な摂取欲求を動機づけると考えられてきた。しかし,近年の神経科学的研究からそのdopamine神経の賦活が必ずしも「快感」と対応しないこと,薬物依存における行動の病態が衝動的な自己統制の欠如にあることなどが示され,依存性薬物の摂取が単なる快楽希求行動であるとは考えにくくなってきた。本稿では薬物の強化効果をめぐる新しい知見を紹介しつつ,ヒトを依存に導いていく過程における快/不快のネットワークと学習・記憶系の関連について論じた。
key words: psychological dependence, reinforcng effects, subjective effects, allostasis, craving

●快と不快の認識における扁桃体の役割 神経心理学の立場から
佐藤弥 岡田俊 村井俊哉
 本稿では,扁桃体損傷の情動認識への影響に関するこれまでの研究を概観する。知見から,扁桃体損傷が情動認識の障害をもたらすことが示される。こうした知見に基づいて,情動認識における扁桃体の役割を考察する。
key words: amygdala, emotion recognition, neuropsychology

●快・不快情動の脳機能画像
高橋英彦 大久保善朗
 情動の中枢機構について,歴史的にはPapezの回路や辺縁系などの神経ネットワークが想定されてきたが,現在では辺縁系を含めた全脳にまたがる広い神経ネットワークで処理されていると考えられている。脳機能画像研究により情動の中枢機構としての神経ネットワークが明らかになりつつあり,特に辺縁系-前頭前野-線条体-視床のネットワークが情動反応の調節に深く関わっていることが明らかになった。そしてこの神経ネットワークに不均衡が生じると,情動,感情障害を引き起こすと考えられるようになっている。不快情動においてはこの神経ネットワークのなかでも扁桃体と前頭前野は中心的な働きを担う。快情動は扱いが難しいが,報酬系とよばれる中脳-線条体-眼窩前頭野という神経ネットワークが賦活されてくる。今後は単一の脳部位の活動だけに注目するのではなく,神経ネットワークとして情動の脳内過程を解析していく必要がある。その際にfMRIは非侵襲的に全脳に広がる脳活動を評価することができる点で最も有力な研究方法のひとつとなるであろう。
key words: functional neuroimaging, emotion, cognitive demands, amygdala, prefrontal cortex


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