●Huber, G. の基底症状概念と統合失調症残遺状態の類型分類
針間 博彦
現在の統合失調症の症候学では欠損性の症状は客観的な観察所見である陰性症状としてまとめられている。だがJaspers─ Schneider の精神病理学を継承したHuber は陽性症状─陰性症状という対比を採用せず,患者に自覚され報告される欠損症状として純粋欠陥症候群とそれに基づく基底症状を記述した。これによって可能になった統合失調症の残遺状態の緻密な記述と分類は,いまなお治療と予後予測に指針を与える臨床的有用性がある。
Key words:schizophrenia, basic stage, basic symptoms, pure defect, residual phase
●病前性格と発病状況論を理解しよう─Tellenbach, H. のメランコリー論(わが国の精神病理学に与えた多大な影響)─
菅原 誠一
Tellenbach, H. のメランコリー論(1961年)は,病前のパーソナリティから発病状況を経て病相期に至る動きに着目し,多くの重症例に共通の特徴を大掴みに捉えたものであって,その類型は「メランコリー型」と名づけられた。この理論は,それまでの診断学による反応性うつ病と内因性うつ病という二分論を統合するものとして高い評価を受け,またそこに描かれた病前性格─発病状況が,わが国の下田光造の先行研究と酷似していたこともあって,早くからわが国に紹介され受容された。わが国の精神病理学では,1970〜80年代の軽症化した臨床像に合わせ力点が移され,「真面目な良い人がうつ病になりやすい」といった通俗的な理解が現在まで広く流布している。昨今ではこのタイプのうつ病も病前性格論も時代遅れとみなされがちであるが,Tellenbach のメランコリー論の本義は発病状況論にあり,その価値は未だ失われていない。
Key words:Tellenbach, melancholia, depression, premorbid personality, psychopathology
●Conrad, K. の「統合失調症のはじまり」─症状展開の一元的理解のために─
野 原 博 前田 貴記
Conrad, K. はHeidelberg 学派に属し,Jaspers, K.,Gruhle, H.W.,Schneider, K. の系譜に連なる精神医学者である。Heidelberg 学派は記述的精神病理学を目指し,それに基づいて脳科学による精神症状の解明を志向する一つの大きな流れがあった。他方,現象学的人間学的立場から患者の全生活史を通じて心的現象を理解する流れがあった。しかしConrad, K. はいずれの立場にも与せず第3 の道として心的現象を心理学の手法を用いゲシュタルト分析によって明らかにしようとした。 統合失調症の精神症状,経過型を体験の全体の構造の特徴に着目して統一した視点から記述した。統合失調症の初回の急性増悪(シュープ)を4 期に分けてさらに「(心的)エネルギーポテンシャル」という概念を導入して経過の類型化を行った。これは一元的な病態生理学過程の発見を目指した新しい試みであり,最終的には身体医学による説明を目指した。本稿ではConrad, K. の著書「分裂病のはじまり」を紹介し,統合失調症の病像についての捉え方を紹介する。この著書にはすでに優れた邦訳,解説書があるが,訳は中井,安,山口によるものを参考にした。
Key words:exacerbation, gestalt analysis, topology, phase, energy potential
●正常心理の枠内にある「心の動き」を知る─Kretschmer, E. の体験反応(支配観念,原始反応,敏感関係妄想,自閉性願望充足を含む)─
久江 洋企
Kretschmer, E. の体験反応学説について紹介する。彼によれば心とは直接体験のことであり,体験とは感情を伴った精神的なものの集まりで,人格による加工を経ている。強い感情を伴う体験で観念が人格の中心を占めるものは支配観念を形成する。体験反応には原始反応と人格反応がある。原始反応は体験が中間回路を経由せず,直接衝動行為として現れるものをいう。人格全体が強力に関与しているのが人格反応である。人格反応には,強力性,無力性,および自閉性の性質がある。強力体験や無力体験が単純な人格反応であるのに対し,より複雑化したものが誇大性発展,敏感性発展,自閉性願望充足である。敏感関係妄想は性格・鍵体験・環境が関与して発現する。自閉性願望充足では夢や妄想的観念によって自己保存本能が満足される。彼の論考は,他者の心の動きを理解する際の参照枠として改めて読み解くことで,それまで気づかなかった視点を提供してくれる。
Key words:Erlebnisreaktion, überwertige Idee (overvalue idea), Primitivreaktion (primitive reaction),sensitiver Beziehungswahn( sensitive delusion of reference), autistische Wunscherfüllung
●Wernicke の精神病理学に学ぶ
松下 正明
20世紀初頭,最高の臨床精神科医であり,また精神病理学者であったWernicke の精神医学について述べた。彼の精神医学思想は,脳局在論的立場,大脳連合系のSejunction仮説とネットワーク障害論,精神疾患における多様な症候学の確立,精神症状の心理的分析,精神疾患における運動機能障害,とくに精神運動性(psychomotor)障害の重視,精神疾患分類への消極的姿勢などの特徴を有していると考えられる。とくに,精神疾患を,症候論的立場から,Allopsychose,Somatopsychose,Autopsychose と分け,さらに,精神感覚路,精神内界路,精神運動路の3 つの連合系の障害として捉えるWernicke の独特な精神医学観が,Liepmann,Bonhoeffer,Gaupp,Schröder,Goldstein,Kleist などの弟子たちによって継承され,現代の精神医学の礎になっていることを指摘した。
Key words:Carl Wernicke, Sejunction theory, Hugo Liepmann, Kurt Goldstein, Karl Kleist
●内因性精神病を細かく分類したLeonhard, K. の観察眼
生田 孝
Kraepelin, E. は内因性精神病を統合失調症と躁うつ病の2 つの大きな領域に二分した。この考えは,Krapelin─Bleuler─ Schneider の流れ,つまりKraepelin 学派を形成してドイツ精神医学の主流となり,それは今でも相当に単純化されながらも英米圏へと引き継がれてICD─10やDSM─5など現代精神医学の基本底流となっている。他方,Wernicke,C. は,この二分法には反対の立場をとった。その流れが,Wernicke─Kleist─Leonhard らのいわゆるWernicke 学派である。その考え方は,Kleist, K. に引き継がれ,第3 の独立した内因性精神病としての非定型精神病概念が主張された。さらにLeonhard, K. は,この考えを展開させて独自の詳細な分類体系をつくり上げた。この極めて精緻な体系をつくり上げたLeonhard の観察眼について彼の人生を手がかりに論じた。
Key words:Leonhard, Wernicke, Kleist, endogenous psychosis, nosology
●精神病の症状構成の理解に役立つジャクソニズム─Jackson, H. の陰性症状と陽性症状を知る(記述精神症候学的な陰性・陽性症状との違い)─
兼本 浩祐
John Hughlings Jackson にとって陰性症状はより高次の神経系の機能不全であり,その結果,より低次の神経系が脱抑制を起こしたために出現した症状が陽性症状であった。これは陽性症状をドーパミン作動系の障害,陰性症状を一種の脳症による認知機能障害と考えるCrow の枠組みとは大きく異なる。Jackson の陽性症状・陰性症状の考えは,Freudを介して幻覚妄想を一次障害(Bleuler の場合は連合弛緩,Huber では基底障害)に対する一種のレジリアンスの試みであるとみなすBleuler─Huber の立場へと展開した。Ey はより直接的にJackson を受容しているが,階層間の関係はBleuler─Huber と通底しており,単一精神病論,均一性解体などの概念をJackson の思想から精神医学のために新たに創始した点に特徴がある。Jackson の陽性症状は,Penfield の大脳刺激実験によって産出されるような症状を厳密にいえば含まないはずであり,対話性幻聴のような幻聴が大脳刺激実験ではほとんど誘発できないことは,現在的な視点から見ても興味深いと思われる。
Key words:negative symptom, positive symptom, John Hughlings Jackson, Bleuler, Freud
●『自明性の喪失』にみるBlankenburg, W. の姿勢─単純型統合失調症か,それともアスペルガー症候群か─
和田 信
Blankenburg は著作『自明性の喪失』において,幻覚妄想などの産出的症状に乏しい寡症状性統合失調症の患者1 例を詳述し,「自然な自明性の喪失」という特徴を抽出して,統合失調症の基礎障害として捉えた。この学説は,わが国の精神病理学にも大きな影響を及ぼしたが,その後アスペルガー症候群の概念が広まるにつれ,当該の症例が実はアスペルガー症候群だったのではないかとの批判が提出されるようになった。発達障害に関する現代の知見をふまえると,症例はアスペルガー症候群ないし高機能自閉症スペクトラム障害として捉えられる可能性があるが,ある時期以後は統合失調症を発症した可能性が大きい。Blankenburg が現象学的に分析した「自然な自明性の喪失」は,統合失調症の病理か,アスペルガー症候群ないし自閉症スペクトラム障害の特性であるかの問題は,さらなる精神病理学的および精神医学的究明を要する。
Key words:Blankenburg, loss of natural self-evidence, schizophrenia, autism, Asperger
●Kanner とAsperger の自閉はBleuler, E. のそれをプロトタイプとしている
広沢 正孝
Kanner の「早期幼児自閉症」,Asperger の「小児期における自閉的精神病質者」の概念は,ともにBleule, E. のいう「自閉」の視点から提唱されたものである。このことは現在,発達障害に位置する自閉スペクトラム症(ASD)も,その原点においては,精神病理学的,人間学的視点から提唱されたものであったことを意味している。本稿では,この点を押さえつつ,どのように彼らの事例から発達障害というカテゴリーが誕生したかを簡潔に辿った。その上で,成人のASD 者が注目されている現在,改めて彼らの精神世界を,精神病理学的,人間学的に理解する視点が重要であることを述べ,同時に統合失調症とASD における「自閉」の相違にも触れた。そして最後に,「自閉」の概念自体が特定の文化や価値観に影響を受けた見方であり,現在の青年では「自閉」が一般化しつつあることを指摘した。
Key words:autism, Eugen Bleuler, Asperger, Kanner, autism spectrum disorder
●H. Ey の器質力動論─意識の病理と人格の病理─
鈴木 國文
H. Ey の器質力動論が器質因的視点と心因的視点を対置させることなく,一元的にとらえようとするものであることに触れ,器質力動論における「意識」の概念と「人格」の概念の峻別,そして両者の分節化の意味について触れた。その後,「狭義の意識の病理」を列挙し,この考え方と非定型精神病概念との関係について論じた。その上で,「人格の病理」に触れ,そうした枠組みの中で,非定型精神病と統合失調症がどのように位置づけられるかについて論じた。最後に,H. Ey の器質力動論の根幹にある四つの考え方についてまとめた。
Key words:organodynamism, neojacksonism, consciousness, personality