2011年7月アーカイブ

支配・被支配(隷属)の関係

家族会の話の中で、親が子どもの奴隷状態になっているという話をよく聞きます。なぜそういう関係になるのだろうといつも思います。
ヘネシー澄子さんの本によると、ある人たちは「自分を守る」ために親をコントロールしようとする。親の愛情をむしろ「支配」と感じて抵抗する。実際にその ように本人たちは感じているのでしょうから。また、父親にはいい顔を見せて、母親には悪魔の一面を見せるなどの使い分けをして上手に大人を操ることもある と述べています。
背景にあるのは主導権をとらないと生活に何が起こるかわからないのでこわいということのようです。
岡田尊司先生も先日ジオログで掲載した本の中で、子どもが親をコントロールしようとすることがあると述べています。その1つは親を叱ったり拒否したりする ことで親をコントロールしようとするタイプで、あたかも子どもの方が命令し、決定する立場にあるかのように振舞うとのことです。
こういった方は「勝ち負け」にもこだわります。勝ちか負けしかない人生です。支配している間は勝っているということなのだと思います。

参考文献
ヘネシー澄子「子を愛せない母 母を拒否する子」学研(反応性愛着障害の本です:反応性愛着障害と発達障害は異なるものですので誤解のないように)
岡田尊司「シック・マザー」筑摩書房

実存(じつぞん)は本質に先立つ

ちょっと哲学的なことを書きます。できるだけわかりやすく書きます。
表題はフランスの哲学者のジャン・ポール・サルトルの有名な言葉です。
実存とは「存在そのもの」です。
本質とは「何者であるか」ということです。女性であるとか、男性であるとか、会社員であるとか、公務員であるとかです。このことから「女性であるからこうあるべき」というような考え方が出てきます。これを本質主義といいます。
成人は働くものであるということが人間の本質であるとすると、ひきこもりの人たちは「だだ生きているだけで何の価値もない」などとさげすまされてしまいます。
一方、実存主義は「人間は道具と違って、何かの役に立っているから価値があるというわけではない。人間はただいること、ただ生きていること、それ自体に価 値がある」と考えます。実存主義は無神論ですが、存在自体を称賛するキリスト教カウンセリングも同じ考え方をします(人間は神の子だからでしょうか)。
そもそも人は産まれた時、産まれただけで周りの称賛を受けていました。それがいつの間にか「何者であるか」を次々に求められるようになり、家庭や学校、社 会で本質とされるよい子であることを求められ、その役割が果たせなくなると、家庭や社会には居場所がなくなり、ひきこもざるを得なくなってしまいました。 BPDや発達障害の方々も同じ苦労を味わっています。
しかし、ひきこもりは「個人の心の問題ではなく」、社会の在り方の問題であると実存主義は考えています。「サルトルの実存主義」自体はマルクス思想と合体 して衰退していきましたが、「実存(存在そのもの)は本質に先立つ」という言葉は今最も必要とされている言葉かもしれません。

出典「図説あらすじでわかる サルトルの知恵」 永野 潤 青春出版社

気質としてのBPD

家族会に参加されている方から森俊夫先生の「気質を見極めた人間関係づくり」というペーパーをいただきました。人間の気質は4パターンあるそうで、BPDはヒステリー気質に当てはまるとのことです。確かにBPDはかつて(DSMⅢ以前)はヒステリーに分類されていました。
このペーパーによると、この気質は行動面では「駆け引き」、感情は大きく変動するとのことです。
対処方法は、「こちらがどっしりと構えて相手に振り回されないようにする。近づいてきたらヨシヨシとし、去っていったら追いかけない。こちらが「定点」に止まっていることが大切」とのことです。

また、「こちらに一目置かせる。こうした親分・子分の関係ができたなら、対人関係上の指示を出していく(こういうことはしない方がよいとか)」とのことです。親がだめなら配偶者、配偶者が駄目なら第三者がその相手になるとよいようです。

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