2011年9月アーカイブ

そううつ病を併発しているBPD

BPDの方の中にはAC(アダルトチルドレン)というよりも躁鬱病をに併発されていると思われる方もいます(併発されている方の例は星和書店さんからマンガ+解説の本が出ています。high&lowRemixとかいうタイトルの本です。

躁状態の時に自分は何でもできる、壮大なプランを持っているとか考えてしまう人です。一発逆転を狙うような人たちもそうかもしれません(医学的判断は精神科医を受診してください)。また、躁状態の時にはイライラしやすく、怒りも爆発しやすい人たちで、長時間にわたり自分のプランを話したり、家族に説教するような人たちです。眠れないのではなく、寝なくてよい人たちです。

BPDとそううつ病のそう状態の区分がなかなかわかりにくいので、そうした方には光トポグラフィー検査を受けることをお勧めします。内容は以下のアドレスのとおりです。

うつ、そううつ、統合失調症の見分けができるようです。都立松沢病院でもやっています。そううつが併発しているのがわかれば、それを治療することでBPDも一段落することがあります。

http://diamond.jp/articles/-/13666?page=2

中絶のこと

BPDの方が妊娠した場合です。

こういう場合に限って相手の男性には生活能力がないケースが多いのですが。親はとても子どもを育てるなんてできないと感じて出産に反対する。娘さんは産むか産まないかで迷っている。相手の男性は産めと迫るみたいな状況があります。親は心配なら娘さんにそのことを伝えるべきですし、相手の親との話が必要になることもあるでしょう。だいたい相手の親は手に負えない息子はほったらかし状態だったりしますが。話が進まなければ間に第三者に入ってもらったり、専門家(弁護士等)に相談したりすることになります。

そうは言いつつも最終決断は本人がすることになりますが、産まないという結論になると、人工中絶の話になります。しかし、妊娠後22週が経つと中絶できなくなるので、それまでの間に結論を出す必要があります。気づくのが遅くなるほど決定までの時間がないということです。

また、ここで問題になるのが、医者に提出する「中絶同意書」です。配偶者の同意が必要となります。相手の判子がいるということです。母体保護法というのが以下のとおりあり、本法によらないと中絶は刑法の殺人罪になってしまうからです。

相手の判子がいるということで相手に中絶を反対されると、中絶手術ができなくなってしまいます。そこで相手の親に判子を押してもらったり、だめなら相手の判子を偽造したりしています(仕方ないと思います)。

「配偶者」になっていなければよいのか、あるいは同棲していたら、実質的に配偶者になっているのか、その点は法的問題でやや不明ですが。

あと、中絶後も通院が必要なので、近所は人の目がきになるなら避けるとしても、あまり遠くは無理となります。

以下のホームページも参考にしてください。

家族会でも私が知っている限りで、1名が出産、2名が中絶されました。

http://igaku.biz/ninshintyuuzetu/

 

参考(母体保護法)

第14条 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの

二 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる。

 

 

 

自殺の徴候と予防策

BPDの方に限らず、うつ病や統合失調症等の精神疾患にかかっている人の場合、自殺のリスクがありますが、

BPDの方で、身近でご本人と精神的につながりがあった人が不幸にも自殺した場合、BPDの方への影響が懸念されます。自分も死ねば楽になれるのではないかとか考えやすくなるので。

以下のような兆候があった場合は自殺の徴候かもしれませんのでご注意ください。

 

最終的に自殺はどんなにがんばっても防げないかもしれませんが。自分もそうした経験をしています(3時間話を聞いてその時は思いとどまってくれたのですが、その後会社の人と話をした時にまた傷ついてしまい決行してしまいました。自殺する直前、「いろいろしてもらったのにごめんなさい」とのメールが入り、即電話しましたが、もはやつながりませんでした。電車への飛び込み自殺でした。)。

 

    大切にしていたものを整理したり、誰かにあげてしまう、長く借りていたものを返す。

日記や手紙や写真を処分したりする。

    長いこと会っていなかった知人に会いに行く。借りていたものを返す。

これまでの抑うつ的、ひきこもり的な態度と打って変わって、不自然なほど明るく振る舞う。

    別れをほのめかす(例「夜眠ったら、もう二度と目が覚めなければいい。」「だれも知っている人がいない所へ行きたい」)。

    自殺する予定の場所へ下見に行く。

    周囲からのサポートを失い絶望的になる。

    死にとらわれていく。自殺についての文章や詩や絵を書いたりする。「自殺完全マニュアル」を読みだす。

⑦ 自殺をほのめかす(直後に否定することがある)

    自殺未遂の経験がある。

 

「もう本当に死にたいです」と言ってきたら、親や社会的価値観で説得しようとせず、ひたすら相手の話(気持ち)を「聞く」ことです。3時間ぐらい聞いてあげれば相手の方も落ち着くので。どうしてもその時時間がなければ必ず今日の何時から話を聞くからと約束しておくといったことが対応策かと思います。また、なるべく一人になる時間を短くする(例一人住まいなら実家へ戻ることを勧める。部屋にこもっているようなら、この危険な時期だけこまめに声掛けする)といった方法もあるかと思います。

なお、自殺が心配で心配で緊迫感があり目が離せない状態になったら、迷わず入院の準備を。家族だけでは防げない問題です(病院へは入れば夜の巡回もありますし)。

怒りが赦しに変わるとき

岡田尊司先生の「愛着障害」(光文社新書)からもう1つだけ。「怒りが赦しに変わるとき」という文章です。BPD家族会の最終目的はいつもこれだと思っています。これ以外にないと思っています。親と子が生きている間に和解できるということです。無理やりでなく、なんとなく自然にできるとよいのですが。

 

「(BPDの人が)否定的なことばかり語りつくした後で、楽しかったことや親が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して、そういえばこんなことがあったと語ったりするようになるのだ。「全てが悪い」という全否定ではなく、悪い点も至らない点もあったが、親はそれなりに努力し、愛情を注いでくれたのだ、あるいは親もうまく愛せない事情を抱えていたのだということを、トータルな視点で受け止められるようになる。

この時点で、親の方も歩み寄ることができると、事態は劇的に逆転し、真の自立へ向かって進み始める。」

「親に対して否定的な見方や感情を持つのは、親が自分に対して否定的であったことの反映である。」

「親と和解できたとき、不思議と自分自身とも和解することができる。それまで自分のことを否定的に考えていたのが、自分を受け入れ、自信を持つことができようになるのである。」

家族会財務収支(2011年9月18日現在)

BPD家族会は一般社団でもNPO法人でもないため、法律上、損益計算書や財産目録等の作成および公表は求められておりませんが、会の透明性の観点から、適宜、収支計算書を作成しています。

 

家族会財務収支

828日東京・月例家族会(荻窪)

収入16,000円(16人×1,000円)

支出 1,250円(部屋代)

収支14,750円(①)

911日林先生講演会

収入76,000円(38人×2,000円)

支出 38,390

 資料コピー代 11,790

 プロジェクター、マイク等 10,100

 部屋代(2部屋分)16,500

 (3,300円×5時間)

収支37,610円(②)

 

825日現在 現金有高 360,020

    +②         52,360

 

918日現在 現金有高 412,380

 

発達障害から愛着障害へ(その3)

③役割と責任を持つ

 引続き、岡田先生の本からです。愛着障害の人が回復するための3つ目の要因です。これは結構大事です。

 

「愛着障害を抱えた人がそれを克服するために、安定した愛着スタイルばかりを課題にして追い求めることは、必ずしも得策でない。それよりも自分がやるべき役割を担い、それを果たそうとして奮闘するうちに、まず周囲の人との関係が安定する。そうなることで最も親密な人との愛着関係においても次第に安定していくことも多いのである。」

 

「愛着障害がある人の人生を困難なものにする重要な要因の1つに否定的認知にとらわれやすいことが挙げられる。否定的な認知から脱するにはどうすればよいだろうか。大事なことはどんな小さなことでもいいから、自分なりの役割を持ち、それを果たしていくということである。自分にできること、自分の得意なこと、人が嫌がってやりたがらないことなど、何でもいいから思い切ってやってみることである。ただ、自分のためにやるというよりも、家族や周囲の人のためにもなれば、一層、良い。それを続けていくことが自己有用感を回復するきっかけとなる。その場合に大切なことは、すべきこととか義務といった、それまでその人を縛ってきたものとはいったん切り離して考えることである。学校や仕事のことで頑張れなくとも、その人にできることは他にもたくさんあるのだ。もっと視野を広げて、気楽に取り組めることから始める。その過程で自己否定感を払しょくし、自分でもできることがあるという肯定的な気持ちを回復することが先決である。」

 

「また、否定的な認知を脱するには「全か無か」という二分法的な認知ではなく、統合的な認知が持てるようになることである。何か嫌なこと、思い通りにならないことがあった場合、それを徹底的に否定し、ネガティブな感情にとらわれてしまうのではなく、そうなって良かったこともあるという前向きな意味を見出すことである。」

「愛着障害を克服するもう1つの方法は、その人が後輩や若い人たちを育てるという方法である。」

 

発達障害から愛着障害へ(その2)

岡田先生が先程の本で述べている愛着障害の克服方法は以下の3つです。そのとおりだなあと素直に思います。診断名はこだわらなければ、BPDの人への対応方法と全く同じだと思います。特に③は視点が行かない人がいますが、重要な点だと思います。

 

    安全基地となる存在

この点はBPDの人には安全基地が必要と何度もジオログで繰り返してきたので省略。なお、本書で今や世界のテクノロジーをリードするS,ジョブズ(iPhoneiPadを作った人)がどのように自分にとっての安全基地を発見したかの話はおもしろいです。

 

    愛着の傷を修復する

家族会でよく出てくる。幼児返りの話が出てきます。少し長くなりますが、記載しておきます。

「愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程で、「母親と布団を並べて寝たい」とか「抱っこして欲しい」と言いだすことがある。それは幼いころの心理状態が再現されてその時得られなかった愛情を今与えてもらうことで、傷を癒そうとしているのです。・・折角、そうした状態になっているのに、本人を突き放すようなことを口にしたり、「何を馬鹿なことを言っているの」と拒絶したりしてしまえば、再び殻は閉じてしまいます。それは傍から見れば、すっかり後退したように思える時もあるだろう。ただの悪化と映るかもしれない、しかし、その意味を知る人は、それが回復の第一歩だということがわかるのである。・・子どもが大人になると親と別々に住んでいたりして、こうした修復行為自体が不可能になってくる。その場合、親に代わって修復に当たってくれる人が必要になる。恋人やパートナーがもっともふさわしいのであるが、人によっては他の援助者がそうした役目を担ってくれることもある。」

 

でも、どうしても無理という人は家族会でも紹介した高森信子さんがやるI Love YOUサイン(「家族が知りたい統合失調症への対応Q&A」日本評論社1500円:BPDの人にも適応できるスキルが書いてあります)でもよいと思います。

 

    役割と責任を持つ

「その3」に続く。

発達障害から愛着障害へ(その1)

発達障害から愛着障害へ(その1)

岡田尊司先生が新しい本を出しました。「愛着障害」光文社新書860円です。

「はじめに」を読んでいたら、私が最近言いたいことと一致していたので、掲載しておきます。BPD=8割方がAC=ほぼ(反応性)愛着障害と私は考えていますが。

対応策は「その2」として掲載します。医療従事者への警告でもありますが。

なお、反応性愛着障害の第一人者はヘネシー・澄子さんで多くの医療関係者へ影響を与えている本は「子を愛せない母 母を拒絶する子」学研1500円です。

 

「愛着(アタッチメント)の問題は、例えば、うつ病、アルコールや薬物などの依存症、境界性パーソナティ障害や過食症といった現代社会を特徴づける精神的なトラブルの多くにおいて、その要因やリスクファクターになっているばかりか、家族の崩壊、虐待やネグレクト、社会へ出ることの拒否、非行や犯罪といった様々な問題の背景の重要な問題のファクターとしてもクローズアップされている。さらに昨今、「発達障害」ということが盛んに言われ、それが子どもだけでなく、大人にも少なく知られるようになっているが、この発達の問題の背景には、実はかなりの割合で愛着の問題が関係しているのである。実際、愛着障害が発達障害として診断されているケースも多い。・・・どういう愛着がはぐくまれるかということは、先天的にもってうまれた遺伝子的要因に勝るとも劣らないほどの影響を、その人の一生に及ぼすのである。その意味で、愛着スタイルは「第二の遺伝子」と呼べるほどなのである。」

 

「パーソナリィティ障害や発達障害について、ある程度の知識をお持ちの方も、「愛着」という視野を加えることで、さらに理解が深まることと思う。直面している困難の正体が、一層はっきりと見えてくるに違いない。なぜ(彼らや彼女たちは)自分をさらけだすことに憶病になってしまうのか。なぜ人と交わることを心から楽しめないのか。なぜ本心を抑えてでも相手に併せてしまうのか。なぜ拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか。」

「また、医療や福祉、教育の領域で様々な問題を抱えたケースに関わっている専門家の方々には、パーソナリィティ障害や、複雑化した発達障害を改善し、うまく対処していうためには、愛着という視点がぜひとも必要である。通常の治療や対処では改善しにくいケースほど愛着の問題が絡んでいることが多い。ある意味、これまでの働きかけがうまく機能してこなかったとすると、この視点が抜け落ちていたことによるかもしれない」

世代間連鎖のこと

私は世代間連鎖はあると考えています。だから何とかこれを止められないかと考えます。

その理由は1つは東海学院大学の長谷川博一教授(臨床心理士)らの「親子連鎖を断つ会」

HPhttp://www.tokaigakuin-ac.jp/hasegawa_hp/sub11.html)の活動があるからです。

同教授はパーソナリィティ障害はすべてしつけの問題という考え方の人ですが、同教授が書かれた本(「子どもを虐待する私を誰か止めて」光文社知恵の森文庫)では、親が子に対して行った身体的虐待、精神的虐待(「おまえなんか産まれてこなければよかった」といった言葉)や育児放棄、母親が重篤な精神障害を負っていたことによって適切な養育ができなかったことで、子どもが親になった時に今度は自分の子どもに身体的虐待等を加えてしまうというようなケースが6ケースほど紹介されています。

 

また、これは世代間連鎖ではないのですが、配偶者から暴力を受け続け、産まれた子どもに暴力を振るってしまうケースもあります。

こうしたケースでは、児童相談所等の協力が必要になってきます。

今年の家族療法学会の時に暴力の連鎖の話がありました。親からの虐待からのがれた子どもが児童保護施設に保護されるのですが、その後に起きることは児童保護施設内で発生する弱い者(下級生、年下の子)に対するいじめや暴力です。

欧米ではむしろ施設ではなく、里親制度が中心ですが、我が国では最近、里親先で残念な事件が起きてしまいました。

親権のこと

家族会でも、BPDのみならず、自己愛性パーソナリィティ障害、反社会性パーソナリィティ障害等パーソナリィティ障害と言われているパートナーからの子どものひきとりをめぐり、裁判所の調停の話が出たりします。親権をとり子どもをひきとりたいが親権はパーソナリィティ障害を持った母親へ行ってしまうとか、裁判所の調停制度ではもとのさやに納めるという円満解決方法をめざそうとするため、問題の解決にならないということです。

こうした状況下で子どもを守ろうとしすると、次にできることは親権を有するパートナーが子どもに対して虐待や育児放棄をした場合、親権の停止や喪失を求めることです。しかし、この段階になると、素人には対応できないので、弁護士の力が必要になります。

なお、親権停止の要件は「父または母による親権の行使が困難または不適当であることにより子どもの利益を害するとき」とされています。

子どもへの親権の問題を扱っている有名は法律事務所は以下のとおりです。

くれたけ法律事務所(新宿にあります)

http://www.kuretakelaw.com/

 

なお、斉藤学(家族機能研究所代表:精神科医)さんは以下のように述べています。

「われわれ臨床家から見ると、健全な状態の親であれば、子どもを折檻したり放置したりするのは苦痛である、何かそこに事情がおありでしょうということで介入のきっかけとしていく」(「アディクションと家族」日本嗜癖行動学会誌Sep.2011Vol28No1)

 

BPDとは何か(3年間を振り返って)

BPD家族会が発足して3年を迎えますが、この間、家族の方々やBPDと診断された人たちと話をして感じたことを書いておきます。

こうした方々の話を聞いていると、BPDと診断あるいは見なされている人の多くはAC(アダルト・チルドレン)だと私は思います。ACは病気ではないので、当然、お薬を長期間服用すれば治るというものではありません。ACについてはいろいろな本が出ておりそれには対応策も書かれています(例えば、信田さよ子さんの「夫婦の関係を見て子は育つ」梧桐書院1300円とか)。ACの方にどう対応するかというと、林先生や白波瀬先生おっしゃっていたように、まずは日常で困っていることの対応策を一緒に考えていき、うまくいけばいっしょに喜び、失敗すればいっしょに残念がり、そうしたことを通じて信頼関係を作っていき、いろいろな困った場面での対応スキルを一緒に勉強して、いちいちカウンセラーの指示を仰がなくとも、多くの場合、自分一人でも対応ができることになっていくことだと思います。BPDと言われた人の中には日常のささいなこと(本人にとっては当然ささいなことではないのですが)でも大きな心配事になってしまう人もいます。

 

また、一部の方ではBPDは誤診で発達障害の方(例えばアスペルガー)もいました(あるいはその併合)。事実これは専門外来を受診されて判明した方々です。リストカットやODBPDの方だけが起こすことではありません。有名なのは広島大学の衣笠先生が言っている「重ね着症候群」と呼ばれているものです。アスペルガー症候群にBPDが重なっていると考えられているものです。

 

あと、ACの方の場合、親との関係を「親や親、自分は自分の人生がある」と考えられるようになると良いと思います。

ACと発達障害(私自身はむしろもう治らないという偏見が世の中にあるので、発達の凸凹と呼びたいのですが)の違いは、小さいころからそうした発達上の問題があったかないかです。発達障害専門外来を受診しないとわかりません。発達の凸凹があったとしても、その対応策もいろいろな本にすでに書かれています(例えば、備瀬哲弘さんの「ちゃんと知りたい 大人の発達障害がわかる本」洋泉社1,260円)。

 

なお、BPDと言われる方の一部には双極性障害(早い話が躁鬱病)Ⅱ型(躁状態が小さい)を併用されている方がいました(これもご本人が教えてくれました)。

最近はこんな経験を頭の隅に入れながら、家族会で家族の方々の話を聞いていました。何と言っても最初の「見立て」が大事であり、これを誤ってしまうと、せっかく家族会で話をし、みんなで対応策を考えたとしても、前提を間違っていたら家族がやろうとしていることすべて無駄になってしまうからです。

共依存も見捨てられ不安から

引続き、臨床心理士の遠藤さんは「見捨てられ不安」について以下のように書いています。

「共依存(2者が依存しあう関係)は、見捨てられ不安に何重ものひねりが入っています。実は自分が切実に求めているもの(世話されたい、愛されたい、甘えたい)を相手に与え、相手に必要とされることで自分の存在の承認を得ようとするのです。だから相手に自立されると困ります。自立できない人が自分のそばにいてくれないと困るのです。私はこれを「自己愛的な他利主義」と呼んでいます。見捨てられ不安はしばしば利他主義の仮面をつけています。本当は誰かから「私を大事にして」と言って欲しいのに、そうではなく、「私はあなたのためを思ってやっている」なんていう(子どもからすれば恩着せがましい)表現を使ってくる。

 

子離れできない親、自分の思い通りにならないと怒り出すカウンセラー(こんなにしてあげたのにみたいな)、みんな「自己愛的な他利主義」であり、見捨てられ不安があるということでしょうか。

子どもの見捨てられ不安は実は親の見捨てられ不安を反映した場合もありますね。心配症の親は見ていられないので、子供が危うくなると先回りして子どもの手助けをしてしまう。すると子どもは困難へのスキルが獲得できないので教科書を相手にした勉強はできるけれども、変幻自在に変化する生身の人間がひしめき合う社会に出て失敗する(たいていBPDの人は社会に出て失敗する)。もどってきた子どもに対してやはり私がいないとこの子はだめだという理屈をつけて自立できない子どもを作って、子どものひきこもりが始まる。子どもは子どもで同世代の人たちが華々しくがんばっているのを見て、こんな自分にしたのは親のせいだといよいよBPD化する。

 

また、長谷川博一さんは「お母さんはしつけないで」という本の「張りあうお母さんたち」の中で、「お父さんが仕事での地位で勝負しようとする傾向があるのに対し、お母さんは(旦那には愛想をつかして)子どもを通じて勝負しようとする」と言っています。子どもがどの有名学校に入ったとか、どの一流企業へ入社したとか。

 

そんなことを託された子どもも大変なのですが。そもそもとんびが鷹を生むわけもなく。ある時期になると、勉強だけでは親の期待に到底応えられない状況になり、今まで良い子であった子(すなわち親の手のあまりかからなかった、自分を殺して我慢してきた子)は、もう無理とばかりに親に対してちゃぶ台をひっくり返し、これもいよいよBPD化する。

でもこれらはようやく子どもが自己主張し、反抗期を迎えることができたということなのですが、親にはそれがわからず困惑してしまい、これはBPDという「病気」のせいにしてしまい、自分がやってきたことは間違いないという結論にしてしまう。

見捨てられ不安の本質?

BPDの根源に他の人より特に強い見捨てられ不安があると言われています。

ASK選書14に「苦しさの一番奥にあるのは見捨てられ不安だった」というブックレットがありますが、その中で、臨床心理士の遠藤優子さんはユニークな観点から、見捨てられ不安をとりあげられています。そうなんだろうなあとも感じます。以下は遠藤さんの文章の要約です。

 

見捨てられ不安とは人間間関係の問題ではありません。これは自己愛の問題です。見捨てられ不安は存在の不安として自覚されます。自分はここにいてもいいのだろうかという不安です。このような自己肯定の問題があるために、ここにいても大丈夫だという承認欲求が生まれます。大事にして欲しい、愛して欲しいという欲求です。

やっかいなことにこの欲求は決して言葉では表現されません。「私を認めて欲しい」「大事にして欲しい」と自分から頼んだとしたら、頼んだものが得られてもちっとも満たされないからです。

「こうして欲しい」と一切表現せず、相手が自ずから気づいてくれて、相手自身の願望で大事にしてくれたり、愛してくれるのでなければ意味がないのです。

しかし、どうして欲しいか言葉にしなければわかりません。「言わずに察して満たして欲しい」という承認欲求が強くなればなるほど、見捨てられ不安も強くなります。さらに、相手は自分の欲求に応えてくれずに見捨てるにちがいないという予期不安まで出てきます。しかし、こんな欲求に応えられる相手なんて現実にはあり得ないわけです。

例えば、摂食障害は「弱さを表現していい病気だ」と言われています。何らかの形で「私を愛して」「私を認めて」と表現するのです。

見捨てられ不安が人間関係の問題というよりも、本人の自己愛の問題だとすると、どうすればよいか。それはその瞬間瞬間に自分に向けられた承認や愛情を本人が受け止められるようにすることです。例えば、誰かがにっこり笑ってあいさつしてくれたとか、誰かがその服素敵だねと声をかけてくれたとか。些細なことでもそれがたまっていけば「この世界もなかなかいいものだ。自分もこの世界に受け入れられているようだ」という感覚が養われていきます。

 

以上が遠藤さんの文章です。

よく、心理学の本なんかに赤ちゃんとお母さんの関係が出てきます。小さい頃は遊びに夢中になってしまい、気づいたらお母さん(絶対的な安心・安全な対象)が近くにいないで、どこかに行ってしまった状況を認識すると、赤ちゃんは必死に泣き叫ぶ。しかし、ある程度大きくなって、「心の中にお母さん」ができてくると、たまにいなくなっても混乱しなくなる。さらに安全基地が家にあると、外にでかけて他の人に接するという冒険もできてくる。何かあったら泣きながら家に帰ってきて、お母さんに抱っこしてもらう。こんなことを繰り返しながらだんだん、親との距離をとりながら自立していく。そのうち、親に代わる安心・安全対象(恋人)を見つけ、そこがその人の安全基地になるということかなと思います。

 

BPDの人は言わないでもわかって欲しいではなく、やはり口に出して言う練習、相手の方はBPDの人が言いやすい環境作り(正論を言うのではなく、まずは聴く)によって、問題行動(リストカット等)を減らすことができるような感じもします。

「死ぬ」ほど何なのか?

引き続きダルクさんの本からですが、

「ボーダーラインの人たちは、日常的なところで困っていることがたくさんあるのに、それを説明するのがとても下手なんです。彼女たちが「死ぬ」しか言えない背景には、実はこんな日常的な問題をうまく表現することができないことがあるのではないかと思います。」

死ぬほど何なのか?死ぬほど「悲しい」のか、死ぬほど「傷ついた」のか、死ぬほど「理不尽に思った」のか、死ぬほど「我慢できないのか」とか、死ぬほどの後にくる感情の言葉を拾ってあげられると、いいですね。そうすると、そこから何で悲しかったの?とか何で理不尽だと思って怒っているの?とか話が繋がっていきますからね。

日常的なところでは、「死ぬ」しか言葉を持たなかったけれでも、本当は「がんばってるねって言って欲しかった」とか「雨続きで洗濯物が乾かない」とかのはずが、「悔しい」から「死ぬ」みたいになってしまいますね。この逆コースが行かれれば、本当は何がしたいかがわかってきますね。

 

 

引続きダルクさんの関係の本「その後の不自由」からですが、この前のジオログにも書いたのですが、一見自己中心的に見えるBPDの人ですが、女性の依存症の方の回復方法の1つとして、自分の都合「も」

優先できるようになることと書かれています。具体的には、依存症の方は、

「常に相手の都合を優先して暮らしている。しかし、そのうちやっていられなくなって、突然キレて、自分の都合を申し立てるようことをして(周りから)驚かれたりする。ボーダーラインの人もそうだと思うのですが、あるとき急にガッと文句を言うみたいなことをやるので、周りからはトラブルに見える。本人にしてみれば、もともとは引いているんです。あんなに自己主張が激しいように見えても、実はその前にNOが言えていないということが多いのではないでしょうか」

とのことらしいです。

言いたいことが言えずに、我慢しているので、いつかキレてしまうということだそうです。家庭内でなかなか言えないことを言わせてあげる環境作りが必要かもしれませんね。

依存症の方々は物に依存しますが(アルコール、薬物、食べ物(摂食障害)、買物等)、BPDのようなパーソナリィティ障害は人に依存する感じです。だからに依存症の方とBPDの方は似ているのかもしれませんね。

子どもへの身体的虐待が止められない

子どもへの身体的虐待が止まらない人がBPDと診断されることがあります。

子どもへの身体的虐待を止められない人は、虐待が正しいとか悪いとかいう判断以前に

かっとすると本当に止められません。そうした方が周りにいたら、地域の児童相談所に相談してください。また、そうした状態を止めようとするための家族の会として「親子連鎖を断つ会」というものがあります。有名です。以下はそのホームページです。

なお、BPDの人は必ず小さいころ身体的虐待があったということではありませんので誤解のないように。

http://www.tokaigakuin-u.ac.jp/hasegawa_hp/rensa2top.html

 

 

BPDは自己チューでなく、他人中?

ダルクさんという薬物依存やアルコール依存からの回復をめざす女性のためのグループがあります。そこに関わる上岡陽江さんと大嶋栄子さんの共著で「その後の不自由」という本が出されていますが(この本は松本俊彦先生も良い本と誉められていましたが)、その中で、以下のようなことが述べられています。こうした女性たちもリストカット等をすると、診断的にはBPDと診断される可能性が高いわけです。

「特にボーダーラインと呼ばれる境界性パーソナリィティ障害の人ほど他人を中心にしています。彼らは自己中心の極みのように思われているすよね。でも違うんです。真ん中に「自分」ではなく、「他人」がいる人たちなんです」

AC(アダルト・チルドレン)と呼ばれている人でBPDの様態を示す人たちにはこのことがよく当てはまると思います。ACの人たちは自分よりも他人(例えば親とか)の期待を優先してきた人たちですものね。それが他人の期待にもう応えられないとなると、BPD化したりするわけですから。

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