2014年12月アーカイブ

 「標準的な言葉の用い方からのずれ」はBPD当事者とコミュニケーションをとる場合に頻繁に見られます。BPD当事者と関わる人々がよく感じる何とも言えない違和感は、言語の意味把握に関する大小のずれに起因しているのです。このことが「コミュニケーションのつまずき」をより一層引き起こしやすくなるという深刻な事態になるのです。

以上のことから、言葉の意味のプロトタイプ(典型例)を常識的なものに設定し直すことがいずれ不可欠となるのです。

 

しかし、BPD当事者は・・・

・言葉の意味把握が「ずれている」「変わっている」と周囲の人々が指摘しても傷ついたり憤慨するだけで治療に役立つことはない。言葉の使い方は「ずれている」だけで「誤っている」わけではない。

・BPD当事者が言葉を使って生きていく軸をずらすことになるので、自身自信で容易に実行できることではない。

 

では私たちはどうすればよいのでしょう?

 

言語を取得する途上にある子供と養育者との関わりのように繰り返すこと

 

例:

柴犬(犬のプロトタイプ)を見たとき:

母親「ほらワンワンよ」

 

コーギー・ベンブローク(尻尾のない変わった犬)を見たとき:

母親「ほらワンワンよ」「あら、でもこれ尻尾のないワンワンね」

 

ポイント

上記の例では、母 親は子供に犬のプロトタイプが柴犬であると教えていますが、コーギー・ベンブロークについては、同じ犬ではあるが犬のプロトタイプではないと説明し直して いることです。こういったことを繰り返すことで子供は犬という言葉の意味だけでなく、柴犬が典型的な犬だという様々な特徴に関する知識を身につけていくの です。

 

幼児を対象にした場合に比べてBPD当事者には以下の二つの工夫が必要

・豊かな語り口を意識的に用いること

・柔らかな言い方を旨としながらも、「言葉の意味に常識的なプロトタイプが存在すること」に関しては、BPD当事者がどれだけ拒否反応を示したとしても絶対に譲らないこと

BPD当事者と言葉の意味を巡って対決することではなく、標準的なプロトタイプが存在することを100回、200回と忍耐強く指摘していくことを意味します


参考文献:
「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド」 黒田章史著 岩崎学術出版社 2014310


文責:吉本

なぜ「凡人」として語ることが必要なのか


 前回述べたように、小さな子供に言葉を教える養育者の態度と基本的には同じです。ただし、BPD当事者にこのような関わりが必要となる理由は、乳幼児の場合と同じではありません。乳幼児と同じレベルで「言語を習得していない」わけではありません。学業の面から見ると、彼らの中学・高校時代の国語の成績が優秀であったということはよくある話です。

しかし、彼らが正常な大人と同じように十分に言語をマスターしていることにはならないのです。なぜなら、微妙ではありますが「見逃すことのできない標準的な言葉の用い方からのずれ」がよく見られるためです。


例:医療関係の職場の禁煙区域で喫煙したため、上司に叱られた当事者の話です。「もう喫煙所以外では吸わない」と約束したにも関わらず、1月も経たずに2度も同じ場所で喫煙していたのです。そのため、上司に怒鳴られ始末書を書くように命じられてしまいました。ここでの重要なポイントは、本人にはルールを破ったという認識がほとんどなかったことです。なぜなら本人によるルールの定義は以下のようなものだったのです。


「私はルールを無視してなんかいない。人のいるところでは吸ってないし、誰にも迷惑かけてないし、自分が良いと思ったルールにはちゃんと従っている。ルー ルって守るかどうか自分で決めるんじゃないですか?私はそれで今までずーっとうまくやってきたのに。みんなはそうしてないんですか。」(括弧内原著,黒田,2014,p.56

 

ルールの解釈の違い

BPD当事者のルール

「自分が自分に対してプライベートに決めたことは、他人がどう思おうがルールだ」

・典型的なルール

「世の中のルールの大半は守るかどうか決められないルール


彼らは、単にルールと呼ばれる可能性があるものでは十分な識別ができないようです。

重要なことは、どのようなルールをプロトタイプにするかということです。

 例の当事者の場合、「自分が自分に対してプライベートに決めたことは、他人がどう思おうがルール」であると捉えていたために、ルールを守っていたにも関わらず社会的に様々なトラブルを引き起こすことになったのです


引用・参考文献:
「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド」 黒田章史著 岩崎学術出版社 2014310



 BPD当事者の知能は決して低くはないのですが、情緒的に見ると小さな子供だといわれています。ここでは言葉のプロトタイプという観点からも明らかにされていますね。このBPD当事者の例では、ルールの意味を取り違えるとなぜ社会生活の中で支障をきたしてしまうかがわかりやすく説明されていると思います。皆さんも当事者と関わる中で思い当たる節はないでしょうか?

 「世の中のルールの大半は守るかどうか決められないルール」当たり前のことですが、とても重要なことだと思います。BPD当事者と関わる中で家族がつい忘れがちになってしまう部分でもあると思いました。


文責:吉本

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