2015年6月アーカイブ

「いけない」と言っても聴かないとき 

(現実の問題)
BPDの人は「いけない」と言っても聴いてくれません。
いつも決まって無理を言って相手を困らせ、家族は極限まで試されます。
何を言っても「激情」するので、結局は相手の要望を聴き入れるしかないと
いう気になってしまいます。
「いけない」と言ったのに今回もイライラし、ため息をつきながら
BPDの人についつい応じてしまいます。

そうしたうんざりするようなことを繰り返してしまい、
分っていてもやめられないと皆さんは諦めていますか?

知っておくべきこと
「いけない」「できない」と告げることは
残酷なことではないことを知っておきましょう。

ある家族はこれに同意しない人もいるかもしれません。
ちゃんと、筋道立てて話しをし、説明をし、取り引きをすることは
よいことだと思うかもしれません。

つまり、単に「いけない」と言うのは良くないと主張したくなる人もいるかもしれません。
しかし、対外そのように感じる背後の理由には
「怒らせることをもっとも恐れている」からだと考えられます。

「いけない」「できない」と言うなら、確かにBPDさんは
がっかりし、見捨てられたと感じて、激情するでしょう。
それでも、BPDさんにはとても重要な教訓を学ぶ機会となります。
どんな教訓でしょうか?それは

「世の中は我慢しなければならないことがたくさんあるという教訓です」

直に、BPDさんの要求に屈してしまうなら、
親、夫、上司、友としての関係は弱まり、上と下の関係が出来上がってしまいます。
そうすると、BPDさんは、自分の欲求を満たす時は、怒ってせがみ
続ければ、聴き入れてもらえる、と思い込むようになってしまいます。

結果的に、「いけない」「できない」と相手から言われると、
ひどく腹を立てるようになり、さらに腹を立てても相手が変わってくれないと
「暴力」へと悪化を辿ってゆくでしょう。

BPDさんを怒らせないこと、嫌われないために言いなりに
なっていたものの、結局、直にいいなりになる人をBPDさんは
尊敬することができなくなっていることに、家族は気がつく必要があります。

「いけない」「できない」と伝えることにより、
BPDさんの人格面を成長させることになります。

自制すること。我慢すること。妥協すること。相手を認めることは
結果的に自分の益になることを学ぶ必要があります。
実際、社会生活・学校生活で反抗、反発する人(意見や発言することと違い増す)より、
協調性のある人のほうが社会で上手くやってゆけるでしょう。

そうした家族から「いけない」「できない」ということばを聴くことが
できるようになれば、それは貴重な教訓を学んだことになるのです。

それは、「社会性」=相手に合わせる能力。精神的な大人へと成長する
備えをさせることになります。

大人とは、欲しいものや、自分の欲求がいつでも得られるわけでは
ないことを理解していることです。
子どもとは、欲しいものや、自分の欲求がいつでも得られる思っています。

ですから、家族が妥協して言いなりになってしまうことが
結果的にBPDさんのためになっているのではないということを理解
しておく必要があります。
「(本当の虐待)(ネグレクト)(無視)されている環境に置かれていた
 BPDさんであれば、対応は違ってきます。ただし、感情が非常に
 デリケートで敏感なBPDさんは全て虐待と考えがちなので
 家族は虐待という正しい定義を勉強して、BPDさんのことばに
 コントロールされないようにしなければなりません。
 逆に、BPDさんのことばに全く影響されず、BPDさんが「全て悪い」
 と決めつけてしまう傾向のある家族も要注意かもしれません。自分の
 傾向をよく理解する必要があるでしょう。」

どうすればよいか?
(目標に集中してください)
BPDさんが成長して感情を制御できる大人になってくれることを願います。
しかし、BPDさんにせがまれると何でもやってしまったり、与えてしまう
なら、「成長して欲しい」という目標達成への願いを逆行することになってしまいます。

「いけない」「できない」と言うことは、有効なしつけの一つなので
日常の生活のなかで、訓練をしてください。
結果的にそのような訓練は将来BPDさんを助けるものとなります。

(「いけない・できない」と伝える場合は、毅然とした態度を示す)
子どもは親と対等ではありません。
親やパートナーは奴隷でもありません。
BPDさんがいけないことをした場合、家族は「いけない」と言うのに、
BPDさんの顔色を伺って、本人の同意を得るための工夫をする必要はないのです。
何故「いけない」と言ったのか、時には筋道立てて話し合うことも必要な場合もあります。
しかし、なぜ「いけないのか」「何故いやなのか」「何故できない」のか
について、長々と口論しないでください。
口論すればするほど、「できない・いけない」という言葉が
決定ではなく、家族の要望のようなものになってしまい、
BPDさんからは、「要求された」という教訓に繋がってしまいかねません。
なので、シンプルに理由を説明してください。

「決定したとおりにする」
いけない・できないと言えば、BPDさんはすぐに怒ったり、ぐずったり、
すねたり、無視したりせがんだりして、あなたの本気を試し出すでしょう。
初めのうちは、毅然とした態度は取りにくく、BPDさんも受け入れにくい
ことでしょう。しかし、BPDさんが本気で言っているのを悟につれて、
反抗が少なくなってくるでしょう。

「道理をわきまえていることを示す」
親やパートナーや上司や兄弟姉妹や友人は
自分の意見や立場を「誇示」するだけのために「できない・いけない」と
言うことは避けて下さい。
単なる泣き言や攻撃を聴き入れたりはしませんが、BPDさんの願いや
言い分が正当なものであれば、ちゃんと「承認」して「いいよ。わかるよ。」
と言葉で伝えて、言ってあげてください。
*家族はBPDさんを信用していなため、ちゃんと聴いてあげたり、
 認めてあげることをしていないことがあります。

ポイントアドバイス
●望みをもって・望みのあるうちに訓練してください。
●妥協しないことと妥協することのメリハリを!
●BPDさんが人から指示されることは可哀想なことでも、
 悪いことでもなく、社会人として必要であることを認めましょう!
●気落ちをさせたり、イライラさせるのではなく、
 時には毅然と接し、日々たくさん「承認」してあげて下さい。

BPD家族会代表 奥野栄子











 個人面接を治療の主軸に据えることによる3つ目の問題に、BPD当時者の「反応傾向(癖)」を修正する機会や頻度が決定的に不足してしまうことが挙げられます。BPD当時者の「反応傾向(癖)」を修正することは当事者が自然なふるまいとして身に付けているふるまい方の癖のようなものを修正することなのです。

:左利きの人が右利きに治したいと思った場合→長時間継続的に反復トレーニングが必要

 

厄介な点:

l  「自然なふるまい方の癖」は、上記の左利きを修正する例とは異なり、当事者自身が自覚していない場合が多い

l  修正はその場で繰り返しなされることが望ましい→当事者のそばにいて観察してくれる人でないと修正は難しい

 

修正すべき反応傾向には2種類ある

1.     他人が繰り返し指摘しやすい種類のもの

例:「ルールを守る」「きちんと通院する」

2.     繰り返しては指摘しにくい種類のものがあるという問題

例:「会社の新人研修で、<忌憚なく新人の意見を聞かせてもらいたい>と言われたので、研修中に気づいた仕事のやり方の可笑しさを忌憚なくその都度指摘していった」

 

2.の例を繰り返した場合、だんだん会社で居心地が悪くなり、辞める結果となることでしょう。所謂空気の読めない「反応傾向(癖)」について、一度や二度ならともかく、そうそう繰り返し指摘してくれる人はいないでしょう。そんな手間のかかる人とは距離を置くか縁を切った方が、他人にとっては楽なのです。

 上記のような修正が適切になされるには、当事者の「反応傾向(癖)」に粘り強く付き合い、少なくとも半年や1年という単位で、100回でも200回でも繰り返し指摘し、修正していく必要があるのです。

治療者とBPD当時者の個人的関係では、このようなしつこい介入を行っても絶縁せずに済むほど強固なものではありません。

反復トレーニングを通してBPD当時者の言動をなんとなく修正していくプロセスなのです。最初のうちは双方にとって極めて手応えに乏しいという特徴がありますが、手応えが乏しくても繰り返し介入し続けていく必要があるという意味で、介入する側の忍耐力が大いに必要とされます。ですから、前回と同様このような役回りを担える人物は家族以外を想定するのは極めて困難なのです。

 

引用・参考文献:
「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド」 黒田章史著 岩崎学術出版社 2014310

 

文責:吉本

治療者が面接場面で得られる情報の量や質は、自然なふるまいという面に限ると極めて限られたものになるでしょう。

情報提供を行うだけでなく、BPD当事者の「反応傾向(癖」に踏み込んで修正する場合にも家族の協力は欠かすことができません。

BPD当事者の自然なふるまいを詳細に踏み込んで評価し、修正することは修正される側、修正する側双方にとってきわめてストレスの多いプロセスでもあります。前回挙げた、BPD当事者が「きちんと」通院するという例を、再び取り上げてみてみましょう。


例:BPD当事者はいつものように「きちんと」通院します。様々な攪乱要因が発生するまではBPD当事者は時間通りに面接に姿を現し、何らかの攪乱要因が起きた場合、面接時間に遅れたりドタキャンしたりすることになるでしょう。しかし、当事者にとっては、治療者や家族にまで「きちんと通院しなくては駄目だよ」等と注意されます。このBPD当事者は以前から「きちんと」通院しているつもりでしたし、実際に私たちの目から見ても通院できているときもあったのです。こうなると、BPD当事者にとって不快な経験になることは言うまでもありません。

 

BPD当事者側のストレスもまた、負担の大きなものなのです。

例:「きちんと」という言葉を患者の立場から見た場合の理解と指摘

BPD当事者「雨が降らなければ時間通りに受診する」

「なんとなく身体がダルくなければ時間通りに受診する」

周囲の人々の指摘「雨が降ったにもかかわらず時間通りに受診する」

「なんとなく身体がダルいにもかかわらず時間通りに受診する」

 

一見すれば、周囲の人々が当たり前のことをBPD当事者に教えているだけだと思うかもしれません。しかし、当事者側にとって、何らかの攪乱要因が起こる度に「きちんと」という言葉の使用ルールが、周囲の人々によって勝手に変更されているようにしか思えません。ですから、当然、当事者側の反発が起こるでしょうから、このような介入を行う側も多大な疲労感を伴うことは無理のないことなのです。

 

誰もがこのような介入を行えるわけでもなく、このように疲れる役回りを引き受けられるわけでもないので、面倒な役回りを担える人物は家族以外を想定するのは極めて困難なのです。

 

 

引用・参考文献:
「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド」 黒田章史著 岩崎学術出版社 2014310

 

文責:吉本

このアーカイブについて

このページには、2015年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2015年5月です。

次のアーカイブは2015年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

home

家族会掲示板(ゲストプック)

家族会 お知らせ・その他

本のページ