2020年2月アーカイブ

「ただでっちあげているんでしょう」

  非承認的な環境から発生するもう一つの状況は、その子の行動が受け入れ不可能、あるいは「狂気」とみなされてしまうというものです。これは本人も何を話しているのかわかっていないのだと言われてしまう子どもです。このような子は感情の激しさを理由に批判されます。しばしば過剰なリアクションを責められ、人々を操作するため、注目など何かを手に入れるため、あるいは体育などの何かから逃れるために、実際にとっているような行動をとっているのだと責められます。その子は感情をどうしたらよいのかを学習することなく、ただ自分は感情があるゆえに「悪い子」なのだと学んでしまいます。

  このような子は親と劇場に行き、モゾモゾしたりします。親はその子に静かにするように言います。その子はもっとモゾモゾします。親はもっと声高に静かにするように言います。それは行儀が悪いことだと言い、迷惑をかけるのはやめなさいと言います。とうとう、母親がその子をロビーへと引きづり出して叱りますが、その子は嘔吐してしまいまづ。吐き気がしたので、モゾモゾしていたのです。

  これは通常、次の二つのうちのどちらかを生じさせます。その人がもっと感情的になり、制御不能になってしまうか、感情を過度にコントロールして封鎖してしまうかです。これは「解離」、つまり感情を切り離すことにつながるかもしれません。その人は感情的に白紙になってしまうのです。あるいは、感情を抑え続け、結局は爆発するという事態になるかもしれません。通常、これは自傷的な出来事か(切る、自殺企図)、怒りの大爆発です。



次回は、「不在の親」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

  人々が多くの感情を許容することを難しく思い、感情を封鎖しようと試みる環境が存在します。例えば、子どもが下校してきますが、テストで悪い点を取ったので動揺しています。その子は、過剰反応しているのだ、「メソメソするのはやめて」、夕食の席に来なさいと言われます。彼女のことを理解しようとするコミュニケーションはありません。このような環境は、子どもが非現実的な問題解決技能を発達させるという結果につながります。


  ある裕福な家庭に美しい十代の女の子がいました。両親は共に美男美女であり、お姉さんは一流のモデルでした。その女の子は、自分は家族の中では醜い存在だと信じていました。この見方は母によって強化されました。母親はいつも彼女の食べる物や容姿を批判していて、姉と似ていないことを嘆いていたのです。

  この少女はテニスを習うと決め、一夏中レッスンを受けました。彼女は本当にテニスを楽しんでいましたが、最初の試合の日にはひどく緊張していました。残念なことに、彼女は惨めな負けを喫し、とても悲しく、かなりの屈辱を感じました。コートを歩き去るとき、彼女は母親にどんなにひどい気分かを伝えました。母親は「あらあら、ただにっこりすればそれでよかったのに」と言いました。一夏中練習して、それから自分の出来栄えに失望して屈辱を感じることがどれほどつらいかについては何も通じ合うものがありませんでした。実際、この少女が学んだのは、すべての問題は笑顔によって解決すればよいということでした。


次回は「ただでっちあげているんでしょう」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

「良い調和」がないところ

  よく調和している家族というのは、子どものために振る舞いを教え、そのモデルを示せる家族です。これはすでに簡単に述べたように、子どもと世話係の間で感情のレベルが似ていることが必要とされます。時として、極端に感情的に過敏な子どもが、かなり感情レベルの低い人たちから成る家族に生まれてきます。親は自分自身の感情の調整は巧みでも、子どもが感情的過敏さにうまく対処する方法を示すことができません。


  これはアヒルだらけの家族に生まれてきた一羽の白鳥のようなものです。アヒルは白鳥に対して白鳥になる方法を教えられません。アヒルになる方法しか教えられないのです。アヒルの方が白鳥より良いわけではなく、白鳥の方がアヒルより良いわけでもありません。単に異なっているのです。問題は、白鳥は感じ方が違っていて、少なくともアヒルが白鳥は自分たちとは違うのだと認められなければ、白鳥がアヒルになる方法を学ぶという行為は恐ろしく非承認を招いてしまうということです。


  あまり感情的でない家族は、より感情的な子どもに驚愕し、もっと悪い場合には大いに困惑してしまうのです。これにより受け入れ不可能というメッセージが子どもに伝わってしまいます。


  ところで、もしあなたが成人で、BPDをもつ人のパートナーであるならば、あなたはあなたの愛する人をその人の生まれ育った家庭ではできなかった方法で承認できる人物なのかもしれません。個人的な観察では、BPDをもつ人は自分自身ではできないとわかっているものを供給してもらうべく、ある程度まで他人に依存します。そのようなわけでこの障害をもつ多くの人が、共感的で同情的な人と恋に落ちます。


  ここでしっかり自分のものにしてほしいメッセージは、あなたがBPDをもつ人の親であろうとパートナーであろうと、非承認的な環境は子どもを破壊しようとして作られた環境ではないということです。ほとんどわからないような方法で、気づかない仕方で、出身家族は子どもの経験を否定してしまっているか、感情的にその子にはどうしてもなれないものへと子どもを形作っていこうと試みてしまいます。ですから、あなたが自分の子どものためにできなかったことを理由に罪責感に浸ることや、問題の全ての原因になったとしてパートナーの家族を非難することは、無意味なのです。



次回は「泣くところを決して見せてはならない」を紹介します。



「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

非承認的な環境

  感情的脆弱性がBPDのレシピにおける第一の材料です。二つ目の材料は、非承認的な環境であり、時間がこの二つの材料を引き合わせます。親、パートナー、兄弟、姉妹は、皆が最善を尽くすものですし、感情的に過敏な人と暮らすのは楽ではありません。ですから、BPDを持ったのは、周りの人の責任であると判断してはなりません。これからおわかりになると思いますが、非承認的な環境というのはいろいろなものがあり得るのです。


  私たちの誰も、感情をどうすべきかわかって生まれてくるわけではありません。成長するにつれ、私たちは感情を調整する方法を学びます。感情をどうしたらよいのか、明白に子どもに指導する家族メンバーもいれば、そうしないメンバーもいます。

  多種多様な理由により、家族環境の中には子どもが必要とする形で子どもに反応しないものもあります。私たちはこれを非承認的な環境と呼びます。非承認的な環境の心理的定義は「子どもの反応が、その行動が実際に有効かどうかは別として、不正確、非現実的、取るに足らない、病理的などと、あらゆる場面で扱われてしまう環境」です。例をあげましょう。

子どもが緑豆は好きではないと言います。「あなたも好きなはずよ。みんな緑豆が好きなのよ」

子どもが試験で98点を取って帰宅します。「どうして100点を取れなかったんだい? 100点が取れたはずだよ」

子どもが空腹だと言います。「空腹なはずないわ。食べたばかりでしょ」

友達との喧嘩の後、子どもが泣きながら帰宅します。「いずれにしても彼みたいな友達はいらなかったさ」

高校でのひどい1日の後、十代の子どもが帰宅します。「不満を言うな。今が人生で最良の時なんだぞ」


  これらを読んで、クスッと笑ったり、ゾッとしたものもあるでしょう。重要なのは、すべての親がこのようなことをどこかの時点で言っているということです。しかしながら、足し合わせて非承認的な環境となるには、これらのメッセージが蔓延していなければならず、何度も繰り返し伝達されなければなりません。

  一つのことを明確にしておきたいと思います。親は、ひどい、虐待的な、感受性のない人間などではなくても、そして自分の子どもに対して最良の善意だけしかもっていなくても、非承認的な環境に貢献しかねないということです。これまで出会ってきたたくさんのBPDをもつ人たちは、その人よりもずっと感情的でない親のもとに生まれていたに過ぎませんでした。親にも善意はあったのですが、感情的に脆弱なわが子が必要としていることが何なのか、どうにもわからなかったのです。子どもが感情的に過敏に反応することが常であることと、子どもの感情が本当に長引きがちであることを理解しなかったので、子どもが感情調整を学べるように力を貸せなかったのです。


次回「『良い調和』がないところ」を紹介します。



「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

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