2020年4月アーカイブ

レベル2:鏡のように映し出す

  ここでは、あなたがその人の発言を正確に聞いたということを伝達することが必要とされます。時には、相手の人が言ったことを一言一句ただ繰り返す場合もあります。セラピストは大学院でその方法を学びます。クライアント役を演じている人が、「私にはとてもつらいことで、随分と奮闘しました」と言います。セラピストになるため学んでいる人は「あなたにとってはつらいことで、随分と奮闘してきたと言われるんですね」と反応します。さて、この単純な技法は、ひどく動揺している人や考え方が凝り固まっている人を相手にすると、ある程度の効果を発揮します。けれども、誰かが私にこれをすると、それはほとんど非承認になってしまうと言わなければなりません。私は部屋にオウムと一緒にいるような気がするのです。

  それにもかかわらず、正確さを期することが承認の一部であるときには、このレベルの承認を使うことができます。あなたがその人の発言の要点をつかんでいることを認識してもらえるように、必ず言葉遣いを変えてください。その人が「昨晩、外出して、体を許してしまったことが信じられません。次に何が起こるのか心配です」と言ったとしましょう。その時あなたは、「ふむ、あなたは昨晩の顛末を本当に案じていて、体を任せてしまったことに気分が悪くなっているのですね」のように言えます。一言一句繰り返そうとも、要点を言い直そうとも、それは、世界に対する自分の反応は非論理的でナンセンスだと大いに感じている人に、その経験していることは「理解できる」ほど普遍的である、と伝えることになるのです。



次回は「レベル3:はっきり述べられていないことに言葉を補う」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

  感情的に高ぶっている人を承認することは、一つの技術です。動揺していない人を承認するのはとても簡単です。聞いて、頷けばよいのですから。その人が動揺しているときも、聞いて頷くことは効果があるかもしれません。今までにうまくいったことはありますか? あなたは何かについて苦悩していて、誰かに話をしました。たぶん相手の人は素晴らしい考えをもってはいなかったかもしれませんが、その人は座って、あなたに時間を与え、見たところは客観的に聞いてくれたことで、あなたの感情はいくぶん静まりました。これが、承認の最初のレベル、意識し続けるというものです。

  意識し続けることは、あなたが注意を払い、客観的で探りを入れるような質問をすること(基本的に、話している人にあなたが注意を払っていると実証すること)を要求します。前傾姿勢をとり、頷いて、質問をしてください。


  意識し続けることの(そして実際、全レベルの承認における)重要な部分は、相手の人が言っていることについて、あなたが価値判断的にならないことです。酔っ払って知らない相手と性行為に及ぶ人の話に戻りましょう。その人があなたのところに来ます。ひどい姿で、二日酔いであり、目は赤く腫れています。明らかに困惑していて、あなたに昨晩のことを話し始めます。「なんて愚かで軽率なことをしたのか」という考えがあなたの心を横切ったとしても不思議ではありません。けれども、そのような考えが頭に飛び込んでくるときに、そのような価値判断を心に受け入れないことが重要です。なぜなら、BPDをもつ人は批判にとても敏感で、たいていは、価値判断的な思考を反映する私たちの顔の変化を見て取るからです。


  どうやって価値判断的な思考から脱却するのでしょうか? 最初のステップは、相手の人が言っていることに集中することです。第二のステップは、その状況の事実に焦点を当て続け、意見形成や評価を自分自身にさせないことです。これはマスターすることが非常に難しい技能です。私たちの心は性急に価値判断に向かうように思われますし、価値判断はしばしば私たちがそれについて考えていないときでさえも、口をついて出てきます。危機的ではないときに、価値判断的にならないようにする練習をしてください。あなたの心の中を通過する思考に注目してください。それらは事実ですか? 評価ですか? あなたの語彙から、良い、悪い、正しい、間違っている、公平、不公平、などを取り出してください。いつも〜だ、決して〜ない、誰も〜ない、みんな、のような極端な語は手放してください。こうすることが価値判断的ではないスタンスをとるための手始めの部分です。また、私たちは時にそうするつもりはなくとも、価値判断していることを認識してください。価値判断を捨てて、あなたが耳を傾けていることを相手に伝えながら、その人に非常に細やかな注意を払いましょう。


次回は「レベル2:鏡のように映し出す」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

承認の仕方

  ここで本当に決定的に重要な点を繰り返させてください。承認は、相手の人への同意を意味しなくてもよいということです。しばしば私たちは、BPDをもつ人がしていることに同意しません。例えば、上司と口論したからといって、その人がバーに出かけ、酔っ払い、男性を引っ掛け、無防備な性行為に及ぶことに賛同しません。けれども、もしあなたの愛する人があなたの家に姿を現し、あなたが即座に、その人の過ちが何であったのか、その人の行動がいかに危険であったか、その人の対処手段がいかに問題であるかを言ったとしても、聞いてもらうことはできず、あなたの愛する人はますます制御不能になるでしょう。鍵となるのはタイミングです。あなた自身がしようと思っているのは、あなたの愛する人がその人自身と他者を守るためにどこを変える必要があるのかを指摘するということです。


  何か承認できることを発見した時には、あなた自身の予定を延期しましょう。その予定を実行する頃には、その人も聞いてくれるかもしれません。

もちろん、完璧なタイミングを発見するために一歩退いているのは、特に感情がヒートアップしている場合には容易ではありません。そういうわけで、弁証法的行動療法は承認を六つのレベルに分けているのです。これで、BPDをもつ人が制御不能に見えたり、制御不能に感じていたりするときでも、あなたは自分自身の反応の制御に集中することができます。



次回は「承認の六つのレベル」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著


承認の代わりにやってはいけないこと

誰かが感情的になると、私たち皆が犯してしまう基本的なミスがいくつかあります。


愛するように落ち着くように言わないでください。

  真面目な話、これが効果的だったのを一度でも目にしたことがありますか? 誰かに落ち着くように言うとき、その人の動揺を承認していないので、感情は収まらずに高まってしまいます。


問題を明確に理解し、愛する人があなたにその問題を解決してほしがっていると確信するまでは、問題を解決しようとしないでください。

  もう一つの過ちは、私たちが問題を解決しようとすることです。私たちの多くは問題解決が上手で、誰かがその人の人生で起きていることを私たちに伝え始めるや否や、解決策を思いついて自分の偉大なるアイディアを押しつけ始めます。すると、その人はもっと動揺します。これは私と夫との間でもかつてよくあったことです。私は彼に起きたことを話すのですが、本当はただ聞いて、私の反応が間違っていないと言ってほしかっただけでした。何が起こっているのか話し始めようとすると、彼は「君がすべきなのは...」「僕ならその人にこう言うね...」と言うのです。私は自分の内側で感情(ほとんどはフラストレーションでした)がたまっていくのを感じ、理解されていないという感覚を持つのでした。すると私は、自分が話している状況についてだけでなく、話を聞いてくれないという理由で、彼にも怒ってしまうのでした。承認は最初から問題解決に動き出さずに、聞くことを要求するのです。


理解していないのに、理解していると言わないでください。

  人々が承認を試みて、言うことなりすることなりが、慰めや見下しとして出てくる場合があります。誰かがあなたに「言いたいことはわかります」と言うものの、あなたの方では「あの人はわかってない。私の言いたいことが全然わかってない」と感じるという経験はありませんか? ここでも感情が高ぶります。



次回は、「承認の仕方」を紹介します。



「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

  承認は私たちの生活に広く行き渡っています。レストランにつながっている駐車場に車を停めたなら、駐車場の係員がチケットをくれて、駐車料金の割引を受けられるようにレストランでそのチケットを「承認」してもらうように伝えるということはよくあることです。レストランの従業員がそのチケットにスタンプを押すとき、その従業員は実際あなたがレストランに行ったと述べているわけです。基本的にはこれが弁証法的行動療法の承認の機能であり、他者の経験のある側面を本物であると認めているのです。

  ビル・スワン教授の理論によれば、私たちは皆、「自己構成概念」をもっています。自己構成概念とは、私たちが自分自身をどう見るかということです。いくつかの基本的な自己構成概念があります。自分は何者であるか、人生でどこに向かっているか、何が私たちにとって難しいか、何が簡単かなどです。BPDをもつ人の自己構成概念は多くの場合、制御不能、多くの感情的苦痛を経験する、感情的苦痛を許容できない、他の人にできることができない、自分が何者であるかという感覚がない、というものです。本質的に、先に論じた調整不全の五つの領域が現れています。自らの自己構成概念がネガティブであっても、人々にそれを正しいと認めて欲しい、あるいは承認して欲しいと期待するのが人の本性というものです。私たちは自らの自分自身についての信念に異議を唱えない人に引き寄せられます。

  あなたの愛する人が自分は無価値で愛情を受けるに値しないという考えを含むアイデンティティを持っていて、あなたが常にその人に、愛情から、そんなことはない、無価値でも愛情を受けるに値しないわけでもないと伝えると、その人はもっと感情的になるかもしれません。そして実際にその人を無価値であるかのように扱い、時には価値がない奴だととあからさまに言うような暴力的な薬物中毒者との関係に走るかもしれません。その人は、その人への対応の仕方がその人の持っている、自分が何者か、自分の中核とは何であるか、についての感覚と一致する人々に引かれているのです。


  時々私たちの社会では「承認する」という語を「同意する」という意味で用いますが、私が「承認」という語で意味しているのは少し違うことです。私が意味しているのは、あなたにとって真に理解可能な行動(思考、フィーリング、行為を含む)の一部分を発見して、それが理解可能であると相手に伝達するということです。あなたはその行動に必ずしも同意してなくてもよいのです。理解可能でなければ承認はしません。

  何か承認できることを発見するというのは、本当に困難な場合があります。体重32kgで自分は太っていると言う人のことを考えてみてください。その人が自分は太った人間であるという自己構成概念をもっていることはたぶん真実です。しかしながら、その人が太っていると同意するのでは、承認できないことを承認することになるでしょう。幸運にも、私たちが承認できることがあります。私たちの誰にでも、自分の体重とは無関係に、太っていると感じる日があります。または昨晩食べ過ぎて、体重が増えると心配している日があります。これらの側面を言葉にすること ー 「太ったと感じているのはわかるよ」「お腹が張るのって不快よね」「体重を増やすことが必要だとわかっているときでも、そうすることが心配なことは理解できるよ」 ー が承認になります。その人の言うことはもっともであり、理解可能だと伝達するのです。


  あなたは愛する人の「無価値で愛されるに値しない」という自己構成概念に同意しないでしょうが、それはその人の現実なのです。あなたがその人の自己構成概念に反対する、「無価値ではないし、愛されるに値する」という言葉を使って反応したら、何が起きるでしょうか? たぶんその人はもっと動揺してしまうでしょう。あなたはその人を大切に思っているので、「その通りです。あなたは無価値で、愛されるに値しません」とは言いたくありません。承認を使うなら、あなたは次のように言うことから始めるでしょう。「ねえ、君が自分のことを無価値で愛されるに値しないと見ていることはわかるよ、事実はというと、これまでにしたいくつかがそういうふうに感じさせているんだ。人生での失敗のせいで、自分自身に対する感じ方が悪くなってしまったことはわかるよ。でも、僕はきみについて、こういうことを知っているよ......」。ここで、あなたは本当に言いたいことをすべて言えるようになります。その人が基本的にはきちんとした人間であることや、誰もが愛を受ける価値があること等々についてです。最初はその人の自己の経験を承認し、それからあなたが言いたかったことに移っているのがわかりますか? 承認というのは、薬の服用を助けるオブラートのようなものです。感情の覚醒を抑え、台詞の残りの部分が言えるようなやり方で、その人の経験についての理解と認識を伝達するのです。人々の自己構成概念の一部は、時間や経験とともに変化する可能性があります。望むのは、あなたの愛する人が異なる行動によって人生を構築するにつれて、自分の無価値性についての信念も変化することです。



次回は「承認の代わりにやってはいけないこと」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

承認は感情の強度を減らす

  承認は、あなたの愛する人とのどのような関わり合いの中でも使用できる反応であり、感情を対処可能なレベルまで下げ、あなた方の交わりをより実り多い軌道に乗せるという点で、想像できる他の何ものをも超越した力があります。これは、BPDを持つ人に対するあらゆる有益な反応のまさに中核にあるものです。

  時として 、人はある状況と自分の感情について誰かに伝えるだけで、より感情的になってしまうことがあります。何か不当な目にあったときのことを考えてみてください。たぶん家に着いて、家族にその出来事について話すまでは怒りが少し治まっていたでしょう。それが急に、気がつけばそれが起きたときと全く同じように腹を立てています。ただそれについて話すという行為があなたの感情を高める原因になり得るのです。

  ここで、あなたの家族が「言っていることはよくわかるわ」「気持ちはわかるよ」「そう感じて当然です。誰だってそう感じます」などと言うのを想像してみてください。そのような反応を見たとき、自分の感情が少し落ち着くのを身体的に感じるのではありませんか?

  しかし、相手の人が「そんなふうに感じるべきではない」と言ったり、あなたの言うことを何らかの方法でさっさと片付けてしまったりしたら、どうでしょうか?あなたの感情には何が起こりますか? 感情は高まり、相手の話を聴く能力は低下してしまうでしょう。



次回は「承認はその人の内的経験の一部を本物と認める」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

  BPDをもつ人に何か素敵なことをしてあげるとき、何が起こりますか? ある女性は、職場で成功するために娘が必要とするものを娘に与え続けようとしました。なぜなら、その娘は良い仕事を維持すれば、人生の他の全問題が解決するであろうと強く信じていたからです。母親が行ったのは、娘に大学教育を提供する、立派な衣装を揃える、職場まで送り届ける、同僚とうまくいく方法をコーチしようと試みる、などでした。けれども、母親がこのように気前よく振る舞うと、娘はわっと泣き出すか、怒りながら非難して母親を攻撃するか、沈黙のうつ状態に沈み込んでしまうのでした。とうとう母親は努力をやめました。


  人間の行動には一つの基本的な事実があります。私たちは皆、強化、消去、罰の原理の影響を受けているということです。簡単な言葉で言うなら、これは、もしあなたが愛する人に親切なことをしようとして、その人がネガティブな反応をすれば、あなたは最終的には親切なことをするのを思いとどまるようになるだろうということです()。その人のリアクションを受けずにすむように、実際、親切なことをしなくなるでしょう。これはまた、もしあなたが助けてあげようとして、その人がそれを無視すれば、あなたは最終的には助けようとするのをやめるだろうという意味でもあります(消去:その人が強化になるような反応をしないので、あなたの助けようという行動が消去される)。もしあなたが介入して、その人があなたに大いに感謝すれば、あなたは介入を続けるでしょうし、実際のところ介入を増やすかもしれません(強化)


  自分が相手から受けたリアクションによって、やっていたことをやめたり、続けたりします。ここで学ばざるを得ない教訓は、私たちが他人に対処するとき、私たちは自分の反応に本気で注意を払わなければならないということです。

  BPDをもつ人の感情的反応は私たちに、落胆、怒り、絶望、あきらめ、その他の感情を抱かせます。当然ながら私たちは人間ですから、このような感情に反応します。動物は罰を受けた行動はしなくなります。これは人間関係のなかでも起こります。関係の中で私たちの行動が罰せられると、私たちはその行動をやめてしまうでしょう。次はBPDをもつ人が私たちのリアクションにリアクションをします。これがどこに向かっていくのか、もはやおわかりでしょう。


  私たちは、私たち自身の感情を調整しながら、一方で、感情がとても高ぶりやすい目の前の人が感情を静められるよう力を貸す、ということをする必要があります。これがうまくできないと、相互作用は私たちの望むところに向かいません。

  BPDをもつ人の感情は、私たちにさらなる感情を引き起こし、予測不可能であり、どうにも意味不明なので、私たちに嫌悪感を抱かせます。その人との関係を放棄するという結末を迎える前に、今すぐに、あなたの愛する人の感情について気づいていることを書き留めてみるとよいかもしれません。



次回は「承認は感情の強度を減らす」を紹介します。


「境界性パーソナリティ障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

このアーカイブについて

このページには、2020年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2020年3月です。

次のアーカイブは2020年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

home

家族会掲示板(ゲストプック)

家族会 お知らせ・その他

本のページ