2020年6月アーカイブ

助けを求めることができない

ジャックは繊細な十六歳の少年です。自傷するようになって約十八カ月になります。彼は、友人が何か困っているときには非常に同情的で思いやりがあるのですが、その思いやりを自分自身に向けることができません。

「僕は、悲しく感じてしまう自分が大嫌いです。そのせいで僕は、こんな弱虫な気持ちになってしまいます。感情なんかまったくなければよかったのに。感情は僕に、僕自身を嫌いにさせるだけです。」

 

人生における青年期は、ただでさえ子どもたちを非常に混乱させます。しかし、自分が何を感じているのかわからない子どもたちにとって、人生の青年期はよりいっそう混乱させられるものなのです。自分の感情を正確に言葉で描写することができない子どもたちは、自分の行動を導くための重要な下準備がないままその場に取り残されてしまいます。代わりに、彼らは強力で混乱を呈する心の状態を経験します。それは耐えがたく感じられます。すると彼らは、例えば他人にそれを打ち明けるとか自分を落ち着かせるのに役立つ安全な方法を見つけるよりも、自分の心の状態をすぐに別の方向へ変えようと行動します。つまりこうした子どもたちは、感情的に動揺したときに助けを求めることや、自分を落ち着かせるのに役立つ方法を見つけること、もしくはその両方に非常に困難があるのです。次のペネロペの話が具体的にそれを示しています。

 

「昨夜、私は父とひどい喧嘩をしました。父があんなに馬鹿だとは思ってませんでした。私が動揺しているときに父は助けにならないということを、まだわかっていないのかしら?」ペネロペはそう言いました。

「父は、私が親友とインターネットで会話した後、自分の部屋で泣いているのを聞きつけました。親友が意地悪なことを言ったんです。父は、私がどんな気持ちなのか根掘り葉掘り聞き始めました。お前は怒っているのか、悲しいのか、それとも心配しているのか、というようにね。父が何とか助けになろう、優しくなろうとしてくれていたことは私にもわかるわ。でも私には自分の気持ちがわからなくて、父はそれをますます悪化させただけでした。父はどうしても私を悩ませるのをやめようとしなかったの。どうしたら私がその問題を解決できるかについて、ありとあらゆるアドバイスを与えようとするのよ。それで私は父に、黙っててよ!と金切り声をあげ始めました。とうとう父は本当に腹を立て、怒鳴り散らして部屋から出て行ってしまいました。私はすごく動揺して、自傷せずにはいられなかったの」

 

もしペネロペが自分の感情を同定でき、自分の感情の激しさを引き下げてくれる何らかの対処策を用意できていたなら、彼女が自傷を行う可能性はずっと低くなったでしょう。簡単で即時的な解決策としては、ジョギングに行く、何か陽気な音楽を聴く、風呂に入るといったことがあったでしょう。もちろんこのような方法では彼女の対人的問題は解決されないでしょうが、それでも彼女が自分の感情を統制し、自分はどうしたいのかを冷静に考え、もしかしたら父親に自分の気持ちを伝えることができるほど十分に落ち着くのにも役立ったかもしれません。

 


次回は「ネガティブな感情を調理する」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著



先にも述べたとおり、感情的に敏感な子どもは自分が何を感じているのか、本当にわからないことがしばしばあります。彼らにわかっていることは、自分がそれに耐えられないということだけです。自分の感情を同定できない、あるいはそれに名前を与えることができない子どもは、明らかに不利な立場にあります。このような特徴のために彼らは自分の行動をコントロールすることや、対人関係を緊迫しないように維持すること、感情が高まり始めたときに明晰に物事を考えること、あるいは確固たるアイデンティティの感覚に達することなどがほとんどできなくなってしまう可能性があるのです。そのような子どもは自分のニーズを相手に伝えるのに困難があるでしょう。子どもは自分の感情がはたして妥当なものかどうか、なかなか確信できずに苦労するでしょう。そして子どもは自分自身を慰めたり、自分の感情的反応を統制するための方法を発達させるのに問題があるでしょう。

 

ご存知のように、私たちの感情がどれほど強烈に経験されるかにはかなりの幅があります。怒りは、軽い苛立ち程度のものから殺意のある憤りに至るものまでに及びます。悲しみはがっかりから深い嘆きまでのあらゆる範囲に及びます。加えて、それぞれの感情は、①感触または身体的感覚、②認知的要素、③ある種の行動への傾向、という三つの成分を持っていると考えられます。例えば私たちは悲しいと感じるとき、①沈んでいく気持ちや自分の胸に何か重いものが置かれたような感覚を覚え、②自分の問題について考え、③倒れてしまうように感じます。これらの要素を認識すること、すなわち「感情についてよく知っている」ことは、私たちが自分の感情を同定し、それに正確に名前を与えると共に、それについて何をしたらよいかを判断するのに不可欠なのです。

 

私たちの感情は広い振幅をもって感じられる一方で、私たちが感じる基本的な感情は実際にはほんの一握りしかありません。

 1怒り、2悲しみ、3喜び、4驚き、5恐れ、6嫌悪、7恥辱感、8罪悪感、9妬み、10嫉妬

これらの項目のうち、最初の六つの感情は、ときおり「純粋な感情」と呼ばれることがあります。それらは生まれつきの要因に基づいているからです。一方、残りの四つはほぼ確実に学習によって身につくものでしょう。

さらにこれらの感情はそれぞれ、文化や時代を超えて特定の顔の表情と対応します。この地球上のどこに行こうと、皆さんは人の表情を「読み」、それに対応する感情をよく理解できます。感情はコミュニケーションにおける有効なツールです。実際、人とのコミュニケーションは言葉がなくとも達成されるものです。「感情についてよく知っている」ことは、こうしたコミュニケーションを構築する過程における重要な鍵なのです。

 

 

次回は「助けを求めることができない」を紹介します。

 

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

 

激しく食ってかかる子どもたち

「ママには、ほとほとうんざりよ」 アリサはそう話し始めます。「私たち、ショッピングセンターにいたんだけど、ママは私にこのセーターを試着させたがったの。ママが私の服を選ぶのを、私がすごく嫌がることを知ってるくせに。私は冷静でいようとしたんだけど、ママはしつこく押しつけ続けたわ。とうとう私、ママに怒鳴りつけてやったの。周りからじろじろ見られたわ。きっと私はくるっているように見えたでしょうね。自分でもわかってるんだけど、でも自分を止められなかったの。結局、ママはただ歩いて行ってしまった。私は最悪の気分だった。自分の母親に対してお店の中でカッとなってしまったことについてひどい気持ちになって、耐えられなくなっちゃったのよ。で、洗面所に行って、リストカットしたの。」

アリサは、自分の周りの人間に対して激しく食ってかかることによって自分の感情統制不全に対処しようとする子どもたちのパターンに属します。こうした子どもたちがカッとなると、誰でもその感情のターゲットになりかねません。彼らは気が短く、自分の怒りを効果的に表現するのが苦手です。しかしいったん怒りが鎮まってしまうと、しばしば彼らは自分の取った行動について多大な羞恥心に駆られます。彼らの二次的感情である恥辱感が耐えがたいものになったとき、おそらく彼らは自傷に関わりやすくなるのでしょう。

 

衝動的に行動する子どもたち

  マリが、ボーイフレンドとの電話で交わされた会話について話してくれました。「彼、本当は無分別でも何でもなかったの。彼の仕事のスケジュールが変更になったから金曜日の夜に会えなくなってしまった、って私に伝えようとしてたの。無意識だったのよー私はあんなこと考えてもいなかったのに。私は彼に言ってしまったの。私たちはもう終わりね、もう二度とあなたになんか会いたくない、って。彼は謝ろうとしてくれたのに。私、自分が一体何を考えていたのか、本当にわからない。彼との電話を切った直後、すごく落ち込んでうんざりしてしまって、私は本当に、自分の感情を修復せずにはいられなかったのよ。私はそのまま二階へ直行して、自分の腕にカミソリを当てるためにトイレに入ったの。」

  感情統制が困難になると、マリや彼女のようなタイプの子どもたちは、自傷や物質(アルコールや薬物など)使用、あるいは対人関係について早まった決断をするといった、突発的で極端な行動に走りやすくなります。

  彼らはしばしば衝動的と特徴づけられる、ゼロから一瞬で一分先へ飛んでしまう人々です。その結果がどうなるかということについては、ちらりとも頭をかすめないのです。彼らは最初に取った衝動的な行為が自傷ではなくても、その行動を取った後で、周囲の人に激しく食ってかかる人々とよく似た、耐え難い恥辱感や自己嫌悪を経験することがあります。しかし、彼らはまだ困難を乗り越えたわけではありません。自分自身が取った衝動的な行動をめぐるこれらの二次的な感情が、その後、彼らを自傷へと導くことがあるのです。

 

圧倒された気持ちになり、自分を慰める必要がある子どもたち

  ノーラは彼氏と喧嘩をした直後に自傷したときのことを話し始めます。「彼は私が困っていて、彼を本当に必要としていることを知っていたのよ。なのに、どうしてこんなことをできるの?」 ノーラは文句を言いました。「私があんなふうになったとき、私を落ち着かせることができる人は彼だけなのに」

「それは大変だっただろうね」 私は言いました。「その瞬間にあなたがどんな気持ちだったのか、私にすべて話してくれないかな」

「わからない。私はただ、ホッとできることが何かなければ爆発しそうに感じただけよ」ノーラはじっと私の目を見据えて答えました。

「あなたは感情的にカッとなると、自分が何を感じているのかを知るのが難しくなるようだね」 私はそれとなく示唆しました。

「自分が何を感じているのかわからなくたって、別に動揺しなくてもいいのよね」 ノーラは認めました。「どうしたって、正確に自分の気持ちを把握することなんて絶対に無理なんだもの」

ノーラは第三のパターンに属します。自分を慰めるための方法として、自分を傷つける人々です。他のパターンに属する子どもたちもそうですが、もっと容易に、より健康的に感情を統制する道が彼女の前にはないのです。ノーラは、自分の皮膚を切り裂く以外に自分の感情を開放する方法を見つけることができなかったのです。

  さて、これらの例と、皆さんの子どもとの共通点は見えましたか? これらのパターンを理解すればするほど、心配してすぐに行動を起こすべきときと、親として通常程度の心配をすればよいときを、皆さんが判断できるようになる可能性が高まるでしょう。

 

 

次回は「感情がわからない:私は何を感じているの?」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

 

生物学的脆弱性:感じやすい子ども

仮に感情的敏感性を目盛りで測ることができたら、おそらく大多数の人々が真ん中に位置することでしょう。一方の端にはほんのわずかしか反応しない人が来て、もう一方の端には最も大きく反応する人がきます。ごくわずかな例外はありますが、人間の感情的敏感性のレベルは、瞳の色や生まれながらの運動能力のように生来の生物学的構造によって決められるもので、環境によって決められるものではありません。

感情的に敏感であるということは、必ずしも心理学的問題となるわけではありません。非常に敏感であるけれども、高ぶった自分の感情システムにうまく対処する方法を身につけている人々を私たちは誰でも知っています。彼らはとても共感的で、おそらく皆さんが個人的な悩みを打ち明けるような友人のタイプである傾向があります。感情的に敏感な人々は、人の気持ちを大切に考えられる傾向があります。しかし、感情的に高ぶった自分の心にうまく対処するスキルを習得していないような子どもたちの場合はどうでしょう? 彼らこそ、感情的に脆弱な子どもたちです。彼らは、悲しみや怒りといったネガティブな感情に耐えるのに本当に大変な思いをします。幸せや好奇心といったポジティブな感情を増やす方法を見つけるのに苦労します。研究者たちは、感情的に脆弱な人がネガティブな感情とポジティブな感情を経験したときにどのように反応するかを説明するために、「感情統制不全」という用語を作り出しました。

 

感情統制不全

感情的に敏感ではない人々は、感情的に傷つきやすい人々のことをまったく理解できないことがよくあります(逆もまた然りですが)。なぜ彼らが頻繁に「過剰反応」するのかを理解しがたいだけでなく、彼らの感情統制不全は非常に多様な形で現れるため、ほとんどの自傷の背景にある問題の核心がまさにその感情統制不全であることが見えなくなってしまうのです。

怒り、悲しみ、あるいは失望を呼び起こす状況を乗り切ることが皆さんの子どもにとってどれほど難しいか、皆さんが理解しようとすることが決定的に重要です。皆さんには些細な感情のボヤのように思われるであろうことでも、子どもにとっては大火災のように感じられるのです。

感情統制が困難な人々は、感情を刺激されると三つの反応パターンに陥ります。これらの分類は比較的はっきりしていますが、これから紹介する各ケースで、子どもが最初の感情、またはその出来事に対する反応が引き金となって起こった二次的な感情のいずれかを耐えがたく感じたとき、自傷に助けを求めていることに着目してください。時間が経つにつれ、人は一つのカテゴリーだけには納まらなくなることがあります。

 

 

 

次回は「①激しく食って掛かる子どもたち ②衝動的に行動する子どもたち ③圧倒された気持ちになり、自分を慰める必要がある子どもたち」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

 

自傷の基盤となるものは何か

皆さんは、次の質問にどのように答えますか?

 

・皆さんの子どもは、多くの子どもたちよりも敏感だと思いますか?

・皆さんの子どもは、人生の出来事に対して即座に、しばしば激しく反応すると思いますか・

・皆さんの子どもは、感情的な反応から立ち直るのに、たいていの子どもたちよりも長く時間がかかるようですか?

・皆さんの子どもは、気分が良いときには自分のするべきことをすべてやり遂げることができる一方で、気分が悪いとほんの少ししかやり遂げられませんか?

 

おそらく皆さんはこれらの質問のすべてに「はい」と答えたのではないでしょうか。そして、感情的に傷つきやすく、その時の気分次第で行動しがちな人物像を思い描くのではないかと思います。皆さんの子どもは、何らかの感情的バランスを回復させる方法として自傷を行っている可能性があります。実際、自傷を行う子どもたちの80パーセントがそうであると推察している研究者もいます。

しかし、多くの親と同様に、皆さんは子どもが何の感情も感じていないようだということにも気づいているかもしれません。何を考えているのかわからない、気分はどう?と尋ねても「大丈夫」と答えるだけ...、と心配している親は多くいます。

こうした子どもたちの中には、自分の感情を直接的に経験することに対して恐怖心を抱き、それを回避するという対処方法を発達させている子どももいます。かれらは自分の感情にうまく対処することができず、自分の気持ちを正確に表現することができません。彼らは、もしも感情を直接的に経験してしまったら自分はその感情に圧倒されてしまうのではないかと心配しています。その通りなのかもしれません。どのような気持ちなのかと尋ねられると、彼らはしばしば「わからない」と即座に答えます。これは自分の感情を一切受け止めず、それを回避するのに役立つ自動的な返事です。

また、自分の感情を「仮面」で覆い隠す能力を発達させた子どもたちもいます。彼らはたいてい、自分が感じていることについていくらかは理解しています。しかしさまざまな理由から彼らはそれを秘密にし、自分の顔の表情や言葉を通して感情を露にすることはありません。感情を避ける、あるいは仮面で隠すというのは、そう長く通用する方法ではないでしょう。実際、結局のところこれらの子どもたちにおける精神的緊張は耐えられないものとなります。そしてその時こそが、彼らが自傷にはまりやすくなる時なのです。

 

感情的な脆弱性は二つの成分から構成されます。感情的敏感性と、子どもが自分の感情的経験が妥当であることに疑いを抱かせる環境です。感情的敏感性とは次の三つのことを指します。第一に、感情的に敏感な人は、たいていの人々よりも深く物事を感じます。第二に、感情的刺激に対する彼らの反応はほとんど瞬発的です。第三に、いったん感情的に喚起されると、他の人々よりも元に戻るのに時間がかかります。彼らはしばしば「過敏である」、「過剰に感情的である」、「非常に神経質である」、「気性が激しい」などと形容されます。あるいは軽蔑的に「ドラマのヒロイン」と言われることさえあります。

子どもが自分の感情を同定し、それを正確に分類し、調整する方法を学ぶことができないような環境下では、子どもを取り巻く周囲の要素が組み合わさって、感情的な脆弱性が生じる可能性があります。誤解しないでください、躾が不十分だったためにそのような結果になることは滅多にありません。むしろ子供を励まし、問題を解決しようとする親のテクニックはたいていの場合でうまくいくのですが、感情的に敏感な子どもたちにはしばしば逆効果となるのです。皆さんはよくおわかりでしょうが、こうした子どもたちは育てるのが難しいのです。

本章では、感情的敏感性を導く環境的要因についてはもちろんのこと、感情的敏感性が皆さんの子どもにあるのかどうかを判断できるよう、皆さんによりよく学んでもらえるようにお手伝いします。これらの二つの要因が一緒になったときに生じるものを理解することで、皆さんは子どもが自傷をやめられる手助けを、よりしやすくなることでしょう。

 

 

次回は「生物学的脆弱性:感じやすい子ども」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

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