キーシャの母親は説明します。
「キーシャは本当に敏感すぎます!一人の友人との間に一つでも問題があったら、娘にとってはこの世の終わりのようなのです。私も自分の友人たちといくつも問題を抱えたことがあるから理解できる、と言って安心させようとすれば、あの子はそれこそ爆発します。私が何とか力になろうと必死なときにそんな態度を取られるのはとても不愉快です。娘はただ私を押しのけるんです。それで私は傷つき、怒って、たいてい自分の部屋へ行って泣いて、もう滅茶苦茶な状況になってしまいます。」
キーシャの父親も付け加えます。「そう、事態がそんなに大事ではないことを知らせ、何かアドバイスしてみようとすると、娘はわかってないのよ、と泣き叫びながら部屋から飛び出して行ってしまうのです。」
キーシャの問題を助けようとする両親の試みは全くもっともなことですし、明らかに善意によるものです。私たちの誰もが直感的にそうするように、母親は娘を安心させようと行動し、父親は問題解決を助けようとしています。しかし、娘の力になろうとする彼らの試みは的に届いていません。
彼女について二つの仮定をしてみましょう。第一に、彼女は最も過敏な極に位置する感情的システムを持って生まれたとします。第二に、彼女は自分の感情を効果的に統制し、調整するために必要なスキルを発達させてこなかったと考えてみましょう。彼女の両親の話がこの仮説を確証しているように思われます。結果的に、キーシャは感情的に脆弱だろうと考えられるのです。
感情的に脆弱な人々はたいてい感情的に敏感で、親や他人を生き方のモデルとして学ぶことが十分でなかったり、自分の感情的経験を承認されていないため、感情調整スキルが欠けています。
ここで、承認という概念と、その反対の概念である不承認に立ち戻ってみましょう。他人を承認するというとき、私たちはただ、自分は相手の最近の経験と、その状況下でそれがどうやって感情を引き起こしたのかを理解していることを伝えるだけであることを思い出してください。その人の経験をありのままに受け容れるだけで、批判したり解決策を提供することはしません。問題解決はもちろん非常に重要ですが、承認とは正反対のものとしてとらえられます。承認しないというとき、それは自分とその人の関係において、相手の最近の経験を妥当なものとはみなさない(その状況では大げさまたは不正確だとする)ことです。
承認は子育ての重要な鍵です。私たちは子どもを承認するとき、彼らに、彼らの内的経験を正確に分類しそれらの経験を信頼すること、そしてそれらを自己承認と効果的な問題解決のために利用する方法を教えているのです。子どもを承認しないときには、まさしくその正反対の状況を創り出します。子どもが感じていることは正しくない、あるいはその状況に不適切であると彼らに教えることになるのです。親による不承認の例を二つあげます。
・「おまえは傷つくべきじゃない、あの子がお前をあんなふうに扱ったことに起こるべきだ」
・「それであなたはパーティに招かれなかったのね。そんなことは大した問題じゃないわ、結局、あの子たちはあなたのことをほとんどわかっていないんだから」
どちらの例も親は子どもの助けになろうとして言っているのですが、このような対応が子どもの経験を不承認していることが、もうおわかりでしょう。
次回は「二つの落とし穴」をご紹介します。
「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著