2020年9月アーカイブ

不承認の雪だるま効果

感情的に敏感な子どもが不承認な環境に遭遇すると、問題はまさに「最悪の状況」となります。両者の相互作用は、相乗効果をもたらします。雪だるま式にどんどん大きくなりながらスピードを増して転がり落ちていくのです。この雪だるま効果には、一般的に二つの顕著なパターンが続きます。

第一のパターンは、何とか理解されようと死に物狂いで試みる中で子どもの行動がどんどんエスカレートしていくことが特徴です。この概念を切実に伝える、ある話を紹介しましょう。

 

話を聞いてほしくてたまらない:フロイドと農場主

私が大学生だったころの、ある夏のことです。私は、私の兄弟と大学の友人と一緒にヨーロッパ中をヒッチハイクして回りました。私の友人、フロイドはフランス語を少し話せましたが、日常に通用するほどには十分ではありませんでした。

フランスに到着してすぐ、私たちはある農場主の車に乗せてもらいました。私たちは、自分たちがどこに向かっているのかを彼に伝えようと試みました。フロイドはフランス語を使い始めましたが、言いたいことを相手に理解してもらうことができませんでした。その農場主は次第に彼に対して不満を募らせていきました。フロイドは、まるで声のボリュームを上げたほうがよりよく理解してもらえるかのように、より大声で反応しました。自分が何を言っているのかを相手が理解していないことがわかると、フロイドはさらにいっそう声を張り上げ、英語との単語をまぜこぜにして話し始めました(フランス語のアクセントで)。大混乱でした。結局、その農場主は一番近い町で私たちを車から降ろしてしまいました。

 

私はこの話を、感情的に反応的な子どもと不承認な環境との間の取引的な性質を示す比喩として用います。子どもは自分が承認されていないと感じると、感情が高まり、何とか理解してもらおうとしてさらに強く努力します。残念ながら、感情的に脆弱な子どもは理解してもらう術に長けていません。そのためフロイドのように、自分が何を必要としているかを表現する方法を理解するよりも、たいていの場合はただ声を大きくするだけなのです。当然周りの人々からの反応、すなわち環境的反応は、その「うるさい」態度に向けられて、背後にある感情的ニーズには向けられないでしょう。その結果、その子供はますます不承認された気持ちになり、それがその子どもの感情統制の困難をますます激しくするのです。その子どもは激しい感情に圧倒され、なおかつ感情統制スキルを欠いているため、自傷しやすくなります。このサイクルは一つのパターンとして確立し、やがてそれは機能不全のコミュニケーションパターンとして定着してしまいます。

 

 

次回は「無視すること」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著


2021年の講座・カウンセリング・申し込み内容について全て
掲載されています。
下記のリンクをクリックしていただけると閲覧することができます。
↓↓↓


皆さんは不承認の微妙な作用の仕方についてわかってきたのではないでしょうか。それが親子間のコミュニケーションに影響を及ぼすようになると、子どもが自分の感情的経験を同定すること、その正確さを信頼することが非常に困難になります。こうなると、子どもは自分の感情にうまく対処できるようになるよりも、むしろそれらによって圧倒されてしまいがちになります。もっとうまく承認できるようになるにはどうしたらよいか、ということについては、後々いくつか提案したいと思います。とりあえず今は、不用意な励ましに注意してください。また、皆さん自身の経験を(求められていない限り)持ち込まないようにして、問題解決に手を付ける前に、自分がきちんと子どもを承認したのかを確認してください。


キーシャの両親はどちらも、キーシャの一見不可解な行動に対して非常に強い感情的反応をしたと報告しています。もちろんこれは理解できます。彼らは娘の力になろうとベストを尽くしており、事態は彼らのまさに目の前で爆発しているのです。どうしたら親が彼ら自身の精神的混乱にうまく対処できるかは、別の可能性の問題です。順調に進むために、感情的に敏感な子どもたちには他の子どもたちよりも多くの承認と、効果的な感情的統制スキルの模範となれる親が必要なのです。これがしばしば、口で言うほど簡単なことではないというのは、私にもわかります。私の子どもたちは皆さんにこういうでしょう、「うちのパパだって私たちに癇癪を起したことがあります」と。キーシャの両親は、感情のベクトルを外に向けて自分も統制困難になるか、内に向けて冷たく押し黙ってしまうかのいずれかで、キーシャの抱える状況の助けにはなっていません。多くの場合、キーシャは心の底では、対人関係を改善しバランスの取れた幸福感を得るために感情を統制できるということを両親が手本となって示してくれることを求めているのです。

 

次回は「不承認の雪だるま効果」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

キーシャの母親は、自分の経験上の例を示すことで自分がキーシャの気持ちを理解していることを娘に知らせようとしました。これもまた、いかにも妥当に見えます。キーシャの母親は、自分と娘に共通土壌を探そうとしていたのです。願わくば、ママも友人関係で苦悩したことがあったのだからママの言うことはいくらか信じられる、とキーシャが感じてくれたらと思ったのです。しかし、この母親の行動はまったくの善意であるにもかかわらず、キーシャにとっては自分が誤解されていると感じる結果となってしまったのです。

何が間違っていたのでしょうか?

私たちが自分の経験上の例を話題に持ち出すことによってその人の境遇を自分が理解していることを知らせようとするとき、私たちは焦点を自分自身へ向け、困っている当人から話してしまう危険を冒します。とりわけ、親の「在りし日」の境遇が自分の境遇といくらかの関連があると信じている青年期の子どもには格別です。それは、自分は誤解されているという子どもの気持ちを和らげるどころか、いっそうひどくさせるだけでしょう。

 

なぜ『釣り合いの取れた見方を進める』=『承認』ではないのか

次にキーシャの父親に関心を向けてみましょう。彼は、キーシャの困難をもっと釣り合いの取れた見方でとらえられるよう助けようとして、結果的には喧嘩を始めてしまいます。彼は何かに気づいているかもしれませんが、このアプローチが不承認になっているのはほぼ確実です。なぜでしょうか?故意でないことはわかりますが、「おまえは物事を大げさにしすぎている」と、特にキーシャが感情の統制を失っているときに言うことで、父親は娘の経験を不承認しています。相手は精神的に苦しんでいる十代の子どもなのです。現在論理的に機能している、あるいは自分の反応に完全に責任を持っている人物に対処しているのではないということを忘れないでください。

 

なぜ『最高のアドバイス』も早すぎては『承認』ではないのか

キーシャの父親はちょうど今自分が不承認した相手、つまりキーシャに対して求められてもいないアドバイスをすることで、いっそうひどい過ちを犯しています。キーシャが彼の賢明なる言葉に感謝する可能性は? ゼロです。ここで本当に残念なことは、彼のアドバイスは的を射ているかもしれないということです。人は自分が理解されていると感じると、その後はより進んでアドバイスを受け入れるようになるのです。私が治療にあたってきた青年期の子どもたちはしばしば、彼らの親が承認より先に問題解決に取り組むことについて話してくれます。その後、治療の中で私は、「今のように距離を置いて考えたとき、あなたはそのアドバイスをどのように評価しますか?」と尋ねます。すると常に彼らは、そのアドバイスはかなり良いものだったがタイミングが最悪だった、というのです。

 

次回は「上級編:皆さんに求められる模範的な感情調整スキル」を紹介します。

 

 「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

なぜ『励まし』=『承認』ではないのか

まず、キーシャの母親は娘の力になろうと二つの戦略に頼っているようだということに気づきます。第一の戦略は励ますことです。第二の戦略は自分が理解しているということをキーシャに知らせるための方法として、自分自身の経験をその話し合いに持ち込むことです。これらの戦略はいかにも妥当に思われるのですが、あきらかにうまくいっていません。なぜでしょう?

皆さんが感情的に高ぶっているとき、誰かが皆さんに「何もかもうまくいくよ」と言ったとします。すると皆さんは、この人は問題の重大さをちっとも正しく評価できていないという気持ちになってしまうかもしれません。その結果、理解され励まされたと感じるどころか、むしろ不承認されたように感じてしまうかもしれません。励ますことは、どちらかというと大人の見方に頼りがちな比較的幼い子供に対してはしばしば効果的です。新しい友人と遊ぶことについて神経質になっている幼稚園児は、大丈夫よ、と親に励ましてもらうとおそらく落ち着くでしょう。しかし、友人の言葉に傷つけられた十代の子どもに親が、大丈夫よ、と言ったとしても、同じようにはいきません。当然のことながら、私たちは過去に自分が取ってうまくいった方法を頼りにします。ですから親は、かつてそれが自分に有効だったというただそれだけの理由から、大丈夫だよ、と言って子どもを安心させようとするのです。しかし子どもは青年期に達すると、自分自身の力でやっていく人間になろうとする強い本能をもつようになり、あまり親に頼らなくなります。加えて、青年期に脳はより抽象的な考えを処理できるようになります。世界はもはや簡単に理解できるものではなくなっているのです。そのため、皆さんの単純な励ましは、皆さんの子どもにとっては現実的でないととらえられてしまうのです。

 

次回は「なぜ『私もそうだった』=『承認』ではないのか」を紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

 

二つの落とし穴

早すぎる問題解決

第一の落とし穴は、承認する前に問題解決をしてしまうことです。これは非常に陥りやすい罠です。結局のところ、皆さんは何であろうと子どもをこんなにも苦しめている問題を解決してやりたいと願っています。もうおお気づきでしょうが、キーシャの父親はキーシャに対して彼女の友人との問題は大したことではないと言い、すぐにアドバイスを与えようとしてこの過ちに陥ってしまったのです。

 

皆さん自身のより大きな問題に邪魔をさせてしまう

第二の落とし穴は、子どもの効果的な問題解決能力に心配を抱いている親が、自分自身の心配に耐えられなくなっているときに生じます。セリアの母親がそのよい例でしょう。娘の精神的苦痛に直面した母親は、理解できることですが、セリアが試験の個人指導を受ける意志がなくなってしまったのではないかと案じ始めてしまいました。しかし、セリアの母親の(まったく妥当な)心配をこの場面に導入することは、セリアの現在の経験を承認しないことになります。セリアは他人の感情に非常に敏感な、親の感情に特に過敏なタイプの子どもですー彼女は親の同意を求めているのです。本人はそれを認めようとしないかもしれませんが。

たとえ、皆さんが子どもの力になろうとしていても、それによって子どもを不承認すると思ってもみない結末につながってしまうことがあります。不承認には。苦しむわが子の力になろうと努める善意から虐待に至るまで、幅広い程度の差があります。人間は理解されているときにはうまく行動し、理解されないときには感情の統制がより困難になるようです。私たちは誤解されると、自分の必要とする理解を得ようと懸命になることがしばしばあります。この願望のためにどれほどスキルを駆使するかということも、ここでお話ししていくことの一部です。

それではキーシャに対するそれぞれの親の反応の仕方をもっと注意深く見てみましょう。どうか心に留めておいてください。これらはわが子の力になる方法を必死で探す親の、無理からぬ奮闘なのです。

 

次回は「なぜ『励まし』=『承認』ではないのか」をご紹介します。

 

「自傷行為救出ガイドブック -弁証法的行動療法に基づく援助-」 マイケル・ホランダー著

 

このアーカイブについて

このページには、2020年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2020年8月です。

次のアーカイブは2020年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

home

家族会掲示板(ゲストプック)

家族会 お知らせ・その他

本のページ