2021年8月アーカイブ

罪悪感と自己非難を阻止する

  DBTでは、自傷を「生物社会学的理論」で説明しています。この理論についてはすでに紹介しましたが、子どもは生物的要素と環境(社会)の相互作用の結果として、自傷に至るある種の感情の激変に陥る傾向があります。皆さんの子どもの問題の源を理解することは、皆さんと子どもの双方が、どちらかが責任を取らなくてはならないという気持ちに駆られることなく、何がいけないのかを理解する助けになります。子どもは、「弱い」わkでも「何か欠陥がある」わけでもなく、ただフェラーリのように強力な感情的エンジンを搭載しているのです――それはプラスの側面を持っています。たとえば夢を追求し、大人になったら不正を正したいと求める情熱を子どもに植え付けることができます。この理論はまた、子どもが感情統制に困難を抱えているのは親の育て方が悪かったからではない、と皆さんを安心させてもくれるでしょう。

  生物社会学的理論は弁証法と同様、DBTにとって重要な理論です。なぜならそれは何が問題なのかを説明するだけでなく、回復のための地図を提供してくれるかるかるからです。皆さんの子どもは、自分の強力な感情システムに対処するために必要なスキルを学ぶ必要があります。そして皆さんは、子どもが自分の感情を本物で、重要なものとしてとらえられるように助ける方法を見つける必要があります。DBTをよりよく理解するようになるにつれて、皆さんは自分と子どもの抱える困難をより包括的な視点からとらえるようになり、罪悪感が和らぐのを感じるでしょう。同様に、子どもは自分の問題が生まれつきな性質の欠点あるいは欠陥によるものではなく、感情統制不全による、理解可能な結果であるとわかるようになるでしょう。

  ロベルト夫妻は二人ともコンピュータ・エンジニアです。15歳になる彼らの娘、レジーナは芸術に熱心なかわいい少女です。彼らは診察室を訪れました。レジーナはここ一年間自傷をしていました。両親が試みたことは何も役に立たなかったようでした。両親は娘を「過剰に感情的」で、明瞭な思考ができないのだ、と説明しました。ロベルト夫妻は困惑し、心配していました。

「私たちは非常に理性的な人間ですが、レジーナはまさしく感情の塊となってしまいます。そうなるともう理性で説き伏せることはできません。私たちは、自分たちがよい親ではないと考えてしまうのです」
  父親が言いました。
「それが何よ」
  レジーナが言いました。
「ちっともわかってないわ!パパたちが感情を持っていなくたって、私にはどうにもできやしない。私の両親はロボットなんです」
彼女は言いました。
「私たちにも感情はあるのよ」
  母親が言いました。
「私たちはただ、感情が理性の妨げにならないようにしているだけよ」
「私は理性的じゃないって言うのね?
  レジーナは好戦的に尋ねました。私は提案しました。
「おそらく、皆さんのそれぞれの感情の経験の仕方に違いがあるのではないかと思います。これらの違いは、お互いを理解するうえで抱えている問題になっているのかもしれません。皆さんそれぞれの違いを理解することが、問題を解決するうえでの重要な第一歩となるでしょう」


次回は「感情統制不全に多角的に直接取り組む」を紹介します。

「自傷行為 救出ガイドブック ―弁証法的行動療法に基づく援助―」 マイケル・ホランダー著
  なぜ弁証法的思考は他のタイプの論法より優れているのでしょうか? 真実を絶対的なものとして考えると、自傷はよいか悪いかのどちらかだと結論することになるでしょう。親がある意見をとると自傷を行うその子供は反対の意見をとります。そこには共通の土壌がまったくないため、その状況は大変な喧騒と煙を生み出す一方で、光はごくわずかしか見えなくなってしまいます。
  真実を相対的なものとしてとらえると、親は次のような意見をとることになるでしょう。「自傷は、私たちが望むものではないけれども、あなたの身体をどうにかしてあなたがその状況に適応できるようにしているのね。私たちはただ、あなたが辞めてくれる時を願っているわ」。
  一方、青年期の子どもの意見は次のようになるでしょう。「私がすることを気に入らないことは知ってる、でも、私が自分の身体を好きにする意志を尊重してほしいの。だって私の行動は他の誰も傷つけてはいないから」。
  この意見は大変民主的です――しかし何の解決にもなりそうにありません。
  自傷について弁証法的に考えれば、この対話は、一個人の視点では及ばない一連の構成要素となったでしょう。そのよい例が、ジェイミーとその彼女の父親との対話です。彼らはジェイミーの自傷のことで診察室を訪れました。しかし彼らの会話は、たちまち本題から逸れてしまいました。

「自傷をやめさえすればいいんだ、ジェイミー。ほかに道はない。お前は間違っている!」
  ジェイミーの父親は、いささか緊張した声で言いました。
「パパに私を止めることはできないわ、私の身体ですもの、どっちみち」
  ジェイミーはぶっきらぼうに答えました。私は言葉を差し挟みました。
「ジェイミー、君の自傷が君自身にとってどのように役立つかを、お父さんに話してあげられる?」
「ええ、でもパパは関心ないと思うけど」
  彼女は答えました。
「話してみてくれないか」
  父親は、ちょっと信じられないといったように言いました。
「それがどのようにしてお前に役立つのか、私は知りたい」
「OK、でもちゃんと聞いてね」
  父親はうなずきました。
「私はすごく圧倒されるように感じて、いても立ってもいられないときに自傷するの、そうすると落ち着くの。狂ってるみたいに聞こえるでしょう、でも本当よ。こんなことするから私、自分自身が大嫌い。でもこのことでパパが私に怒ると、私はもっともっと自分が大嫌いになるの」
  ジェイミーはそう言うと、突然涙を流し始めました。
「私はおまえに腹を立てているわけではないんだよ」
  父親は同情的に言いました。
「私はむしろ、本当にびっくりしているんだよ。私は、お前が自傷をやめてくれるよう心から願っている。お前に無理強いをしていることはわかっている。でも、何もうまくいかないままに長い時間がたってしまったことでイライラしてしまっているんだよ。私が何とか力になろうとしても、お前は私を無視してしまったからね」
「私は無視なんかしてないわ、パパ。パパはこれがすべて私の意志によるものだと思っているみたいだけど、そうじゃないの。信じてちょうだい、私だって本当はこんなことしたくないし、やめようと一生懸命努力してきたのよ、でも、今は本当にやめられない。自傷をする直前に私がどれほどひどい気分か、パパにはわからないんだわ」
「自分を傷つけることで本当に気分が改善するとは私には信じがたいことだが、もしそうなら、たぶん私は、なぜおまえがそれをし続けるのか理解できる気がするよ。私は今までそれを理解していなかった。私は、お前がたいてい私を苦しめるためにあんなことをするのだと思っていたんだ。お前が圧倒されそうになる時のために、一緒に何か別の解決策を見つけなくてはいけないね」
ジェイミーの父親は、娘の手を取ろうと手を伸ばしながらそう言いました。

  この会話の中で登場人物がそれぞれ、いかにより多くの情報を追加しているかに着目してください。これらは問題に対する新しく、より大きな視点と――解決への本当の希望へと扉を開く情報です。ジェイミーの父親は、娘の自傷がどのように彼女の役に立っているかを正しく評価し、自傷することはジェイミーが本当に望んでいる状況ではないことを知ります。ジェイミーは、自分の父親があまり批判的にならないよう努める一方で、自分の感情統制不全に対する解決策を見つける過程で進んで力になろうとしてくれていることを知ります。弁証法的に考えることは、本当の理解への扉を開き、親子が力を合わせて、一緒に、親密で効果的な関係へと至る道を見つけられるように助けるのです。


次回は「罪悪感と自己非難を阻止する」を紹介します。

「自傷行為 救出ガイドブック ―弁証法的行動療法に基づく援助―」 マイケル・ホランダー著


ジェンナ:行き詰まりの打破

「できないわ! あの恐ろしい感情には絶対に耐えられない。私が何の理由もなく自傷をすると思うの? 先生は何でもすごく簡単に言うのね。本当はちっとも理解していないんじゃなく?」 
   ジェンナは、泣きだしながら言いました。
「私はそんなに簡単に言っているわけではないよ。君が私を誤解しているのだと思う。私はただ、君が自分の目標に到達できるよう助けようとしているだけなんだ」

  ここには弁証法的思考の欠片もありません。ジェンナと彼女のセラピストは、対極に位置しています。彼らは取りこぼされたこと、すなわち、お互いの見解に明確に表現されていないことを探す必要があります。次に代わりのシナリオを紹介します。


「できないわ! あの恐ろしい感情には絶対に耐えられない。私が何の理由もなく自傷をすると思うの? 先生は何でもすごく簡単に言うのね。本当はちっとも理解していないんじゃなくて?」
  ジェンナは泣き出しながら言いました。
「そう、君の言う通りだと思うよ。スキルを活用することについて話すとき、私はそれがシンプルなことだという印象を与えてしまうのかもしれない。私が君に知ってほしいことは、シンプル=簡単、ではないということだ。これは本当に大変な取り組みなんだ。君が、自分は誤解されていると感じられるのは分かる。私たちは一緒に、君が自傷をやめられるように取り組む必要があるんだ」
「ええ、私、本当に、これがどれほど大変か誰もわかってないと感じるの。私のことを先生が理解するのは無理よ」
「私はもっと注意を払う必要があるね。君がどれほど努力しているかはよくわかっている。だから私は君を励まし続けたいんだ」
「それは助かるだろうけど。ときどき私は自分自身を後ろ向きに追い詰めることがあるわ」
  ジェンナは答えました。
「でもね、それは私がこれをできないということではないの――ただ私は、まだあまり上手じゃないってこと。私は時々先生に怒ってしまうけど、でもほとんどの場合、ただ自分自身に対してストレスを感じているだけなんです」

  ここでジェンナと彼女のセラピストは共に、最初に挙げた対話では取りこぼされていたことを探しています。セラピストは、ジェンナと一緒により協力して前進に向けて取り組めるよう、彼女の経験を承認し、受容と変化の間を行き来しています。

  親として、皆さんはおそらく自分と夫(妻)がそれぞれ問題の両極にいるのに気付いたという経験があるのではないでしょうか。たとえば、皆さんの娘が門限を二時間過ぎて帰宅したとします。しかし彼女は門限の十分前に、あと一時間くらいで買えるという電話をかけてきていたのです。これは今までになかったことでした。これまで娘は門限に遅れても電話をかけてこないことが多かったのです。夫(妻)の意見は、少なくとも電話をかけてきたのだから、叱らないことでその進歩を支持してやりたい、というものでした。しかし皆さんは、娘は遅れたのだからしかるべきであると考えます。

  皆さんも夫(妻)も、自分の考えが正しいと確信しています。そしてどちらも意見を変えるつもりはありません。状況が緊迫するのは時間の問題です。皆さんは夫(妻)に、あなたは子どもに甘すぎると言います。しかし双方が一歩退くことができれば、どちらの意見もいくらかの真実を含む一方で、いくらかの真実を排除していることに気づくでしょう。双方に一理あることに気づけば、娘の新しい行動を認め、かつ彼女が遅れてきたことに対してきちんと対応する方法が見つかるでしょう。例えばこんな風に――「あなたが無事で、帰宅の予定時間を知らせる電話をくれたことを私たちはうれしく思うわ。あなたがそうしてくれたのはこれが初めてだから。私たちはそれに気づいたし、評価します。でもね、私たちはそれでもあなたが門限よりも二時間遅れて帰宅したことを心配しているの、だから次の金曜日は外出禁止にします」。


次回は「ジェイミー:真実、弁証法的真実、弁証法的真実以外の何物でもない」を紹介します。

「自傷行為 救出ガイドブック ―弁証法的行動療法に基づく援助―」 マイケル・ホランダー著



受容と変化の間を動く

  DBTでは、物事を受容し承認することと変化との間を行ったり来たりして、解決策を探します。このような常に行ったり来たりする動きが、リネハン博士を弁証法という概念に導きました――DBTの「D(dialectic=弁証法的な)」というのはそういう意味です。

  弁証法はは複雑な概念で、親だけでなくセラピストをもしばしばつまずかせます。今は、DBTでは親と子ども、あるいはセラピストと子どもは変化の妨げとなる分極化した視点から自由になれる、とだけ述べておきます。

  立場が分極化しているとどちらも自分の立場を譲らず、自分の見方に断固としてしがみつく傾向が見られます。議論は問題の双極として白黒をつけることに特徴づけられ、その中間の混色、色鮮やかな色調は議論から一切失われてしまいます。しかし弁証法的な思考の下では、私たちは真実が絶対的なものでも相対的なものでもないことが理解できるようになります

  大半の人との出会いにおける絶対的真理として、すべての真実を把握している人はいません。一人一人が真実の欠片を持っているにすぎません。これについてはすでに、問題解決に向けて他者と一緒に取り組むために、皆さんが執着している見解を手放すことを学ぶということに関連してお話ししました。DBTでは、この考えをさらにもう一歩進めます。そして組み合わせた真実を単純に合算させるだけでなく、より余すことなく理解できるようにします。実際、弁証法的思考へと入っていくための一つの有効策は、いずれの見解からも外れて取りこぼされていることを探すことです(白か黒かの思考と一致しないもので、しばしば自傷を行う子どもたちに特徴的なことを何か思いつきますか?)。

次回ご紹介するジェンナとセラピストとの対話は、典型的な行き詰まりを説明しています。治療というものは、本人とセラピストが抜け道を見つけない限り先に進めないのです。


次回は「ジェンナ:行き詰まりの打破」を紹介します。

「自傷行為 救出ガイドブック ―弁証法的行動療法に基づく援助―」 マイケル・ホランダー著

DBT:自然な解毒剤

  DBTは、自傷を行う青年期の子どもたちを苦しめる特定の感情的または行動的問題を直接ターゲットにします。DBTのカギとなる要素の一つは、これらの青年期の子どもの強力な感情システムを操るための適切なスキルを彼らに教えることです。
  DBTは奇跡の治療法ではありません。誰にでも役立つわけではありません。しかし現在のところ、DBTは最善で最も即効的な治療法なのです。その理由を見てみましょう。


感情を適切な状態へと回復させる
  子どもの自傷行為の根源には感情統制不全が存在しています。皆さんにもう一つ思い出していただきたいのは、子どもが感情統制困難になって助けを必要としているとき、その感情が本物で重要だということを本人が理解できるように支援するよりも先に問題解決を提示してしまうのは、大きな失敗を招きかねない、つまり「子どもの感情的経験を承認する」という決定的に重要なステップを飛ばしてしまうということです。不承認な環境では、こうした青年期の子どもは自分の感情は大げさなもの、あるいは信頼に値しないものと信じるようになってしまいます。それは子どもの感情が子ども自身に送っている重要な情報を、彼らから奪ってしまうことになるのです。その結果、子どもたちは特定の状況で何をしたらいいのか確信を失くしてしまうだけでなく、概して不安定な自己感覚を持つようになってしまうのです。

  DBTの開発者であるマーシャ・リネハン博士は、治療において患者の経験をありのままに受け容れて承認することなく、変化のためのテクニックを提供することが、患者を行き詰まらせ前進できなくさせていることに気づきました。リネハン博士の「わかった!」という瞬間は、彼女が受容と承認とを治療に組み入れようと試みていた時に訪れました。驚いたことに、これによって彼女の患者たちは回復し始めたのです。

  続いて紹介する例は、承認の重要性を例証しています。承認する前に問題解決を始めると、状況がどれほど行き詰ってしまうかに着目してください。


  クロエはひどく落ち込み、無気力に感じて、今度の週末を友人の家で過ごすのに、洗濯をすることもできなく感じたので、私に電話をかけてきました。
「私、まったくエネルギーがないんです。ただ寝てしまいたいだけです」
  クロエは訴えました。
「あなたはお友達に会いたいんだよね――この旅行を長い間ずっと楽しみに待っていたでしょう。それをもっと小さなことに分解してみてはどうかな?そうすれば、それほど圧倒的に感じられなくなると思うのだけれど」
  私は提案しました。
「私には、まったくエネルギーがないんです。何もできません」
  クロエは、少しイライラして私に言いました。
「あなたの、旅行に出かけるという目標は変わってしまったのかい?」
  私は尋ねました。
「あなたは計画を立てれば、面倒なこともやり終えられる人だと私は知っているよ」
「先生にはわからないと思います。これは簡単なことじゃないんです」
クロエは、声に怒りを募らせながら言いました。
「あなたの言う通りかもしれないね。私も、あなたはこんな気分の時には洗濯やそのほかのことが本当に大変で、とてもできそうにないように感じられるようになってしまう、ということはわかっていた」
「こんな気分の時には、私には何もできない気がします」
「本当にひどく困ってしまっているんだね。本当はお友達に会いたいのに、そのためには鉛の靴を履いて泳がなければならないように感じられるのでしょう」
  私は言いました。
「確かに行きたいです、でも実現できるように行動するのは私には無理・本当にそう感じています」
  彼女は言いました。
「それで絶望的な気分になってしまうんです」
「本当にひどく困っているんだね」
  私は言いました。
「何か問題解決を助けることをしてみようか?」
「ええ、私は何をしたらいいんでしょう?」


次回は「受容と変化の間を動く」を紹介します。

「自傷行為 救出ガイドブック ―弁証法的行動療法に基づく援助―」 マイケル・ホランダー著


  DBTは、1980年代後半から1990年代初めにかけてワシントン大学で、マーシャ・リネハン博士と彼女の同僚たちによって開発、検証された認知行動療法の一種です。当初は自殺傾向のある女性たちを支援する目的で用いられましたが、徐々に幅広い、さまざまな心理的問題に適用されるようになりました。認知行動療法における認知的側面は、人が自分自身と自分の世界について抱いている無益で非現実的な信念(認知のゆがみ)を検証し、修正することで変化を支援するものです。
  行動的側面では新しく効果的な行動を教え、強化することによって変化を支援します。行動的側面は、認知的側面以上に強力な変化をもたらす因子となるでしょう。その最終的な到達地点は、明らかに有害な行動を子どもにやめさせることです。行動は、それを繰り返す可能性を高めるものなら何によっても強化されます。強化には二つのタイプがあります。どちらも、皆さんの身に覚えがあるものかもしれません。

  一つ目の強化はポジティブな強化です。たとえば、皆さんが子どもを友人宅へ車で送っていったことに対して子どもが皆さんにお礼を言ったとき、皆さんはお礼を言えたことについて子どもを褒めたとします。このように行動をポジティブに強化すると、望まれた行動を再び行う確率を高めることがあります(子どもの「ありがとう」という言葉によって、皆さんが次回も喜んで子どもを車で送ってあげようという気持ちになる可能性も高まります。つまり、子どもも皆さんを強化しているのです)。

  二つ目の強化はネガティブな強化です。これはある行動をした後に何か嫌なことが起こり、そのあとそれが取り除かれたときに生じます。ただしこの場合の「嫌なこと」は、個人の感情的反応によって異なります。たとえば、もう夜遅いから、と言って子どもを自分の部屋へ行かせることは、ある子どもにとっては嫌なことかもしれませんが、別の子どもにとっては休憩したり、TVゲームをしたり、あるいは電話をするチャンスになるということもあります。また、教師に対する無礼な行動を謝るまで休憩時間中教室にいてはならない(嫌悪条件づけ)というケースを考えてみましょう。この場合、子どもは謝りさえすれば休憩時間にクラスの友人たちの中に加わることが許されます。こうして教師は、謝罪という行動を強化するのです。

  ほとんどのケースで、自傷はネガティブな強化にコントロールされています。皆さんの子どもは、感情的に圧倒されたように感じています(嫌悪条件づけ)。そして、自傷は彼らに即座に安心をもたらすのです。自傷という行動が子どもの苦痛な感情的経験を解消したことで、再びそれを行う確率が高くなります。意図的な自傷がポジティブな強化にコントロールされている数少ない例の一つは、人の関心を得るために自傷をするごく少数の子どもたちの場合です。

  自傷を行う子どもは、「自傷したい」と自分を強く駆り立てる衝動の一因でもある、数多くの誤解や認知の歪みに基づいて行動します。ここで認知行動療法の中の認知的側面の出番です。自傷を行う子どもたちの多くが抱えている認知の歪みは、自分は負け犬で弱虫だ、というものです。

「昨夜、またやっちゃった」
メラニーは言いました。
「自傷しないように努力したのに。でも本当に我慢できなかったんです。やめるための意志の力が私にはないんだわ」
「君が自傷をやめられないのは、意志の力がないためじゃないよ」
私は反論しました。
「君は意志の力と自生する非常に大きな能力を持っている――自分が学校の勉強やスポーツにどれほど集中できるか、ちょっと考えてみてごらん。君に欠けているのは意志の力ではなく、君の強力な感情システムをうまくコントロールするのに必要なスキルなんだ」

  メラニーの歪んだ思考は、彼女の持つ謝った仮説に基づいています。それは、もっと意志の力を持っていれば自分は自傷しないだろうに、というものです。認知的行動療法を行うセラピストの仕事の一つは、青年期の子どもたちがこのような信念に挑戦するのを助け、それを自傷における事実と一致する信念--特に、自傷は多くの場合、自分の感情にうまく対処するためのスキルの欠如が原因であるという信念と置き換えることです。
  DBTでは子どもに、苦痛な感情を調整したり変えたり、もしくはその両方に役立つ特定のスキル――新しい行動――を教えます。こうした信念を変えることが重要な一方、変化を引き起こすもっとも強力な因子として、有害な行動の代わりとなる新しい行動を子どもが学べるよう支援します。


次回は「DBT:自然な解毒剤」を紹介します。

「自傷行為 救出ガイドブック ―弁証法的行動療法に基づく援助―」 マイケル・ホランダー著


  あなたは、自分自身の感情的反応を変えられるのと同じように、愛する人を観察して、その人の感情の正体を見極め、それから穏やかにその感情とは反対の行為へとその人をそっと後押しできるかどうか確認することができます。すべての感情には行為への衝動、つまり、感情のせいでやりたくなる何かがあります。
  幼い子供について考えてみれば、感情による行為を理解することができます。怯えると、子どもは何であれ怖いものから逃げます。怒ると、子どもは身体的または言語的に攻撃します。悲しいと、皆に背を向けて引きこもってしまいます。罪責感があれば、謝罪のように、事態を改善するために何かをするでしょう。
  あなたの愛する人の主要な感情状態は、(怒りや恐怖のように)生理的覚醒が増加したものでしょうか?あるいは(悲しみのように)生理的覚醒が減少したものでしょうか?もしあなたがその感情が何であるか決めかねるのであれば、あなたの愛する人が抱えている行為への衝動は何かを見定めましょう。それから、感情を変化させるかその強度を減らすために、行為への衝動とは反対のことをさせるように試みましょう。何か恐ろしいものから逃げる代わりに、その人がそれにアプローチできるような方法を提案しましょう。以前に断られたので、仕事への応募を恐れているのであれば、その人が怯えているのは分かっていると伝え、断られた経験を認め、それから「その恐怖を抑える唯一の方法は仕事に応募することだとわかっていますよね。その考えがあなたの心を恐怖で打ちのめすことは私にもわかります。問題は、『あなたが自分の恐怖を弱めたいか?』だと思うのです」のように言いましょう。もしその人が悲しんでいるのであれば、その反対の行為は、寝室から出て、自分は有能であり、自分の感情や人生をコントロールできていると感じさせてくれる何かをすることでしょう。


「境界性パーソナリティー障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著
⑦他のすべてが失敗し、あなたが読心術を使えないときには、承認に戻りましょう。

  大切なのは、これらのやり取りの間、愛する人のあなたへの感情的反応を意識し続けることです。その人の感情が激化し始めたなら、承認に戻りましょう。静まってきたならば、どのように手助けできるか質問しましょう。

  感情が高まっているときには、あなた自身の感情が煽られないようにすることがひどく困難になりますし、そうなるとあなたは、BPDと格闘している人と一緒に渦巻きの中に引きずり込まれてしまいます。
  あなたのきょうだい・友人・お子さんは、強烈で執拗な感情に対して生物学的に脆弱で、これらの感情は受け入れ不可能であると学習しているのだと理解しましょう。そうすれば、現時点ではその人にはどうにも行う能力がないことをさせようとして、多くのエネルギーを浪費することをやめることができます。ここに記述されている技能を学び、適用してください。そうすれば、自分自身を感情的負担から解放できるばかりでなく、あなたの愛する人が時間をかけて感情調整を学べるような環境を創造することができます。あなたの愛する人は様々な感情によって調整不全になっていて、さらにはその感情があまりにも制御不能に感じられるために、ますます感情的になってしまうということを忘れないようにしてください。また、当人ほど、自分を批判して責める人間はいないということも覚えておいてください。そうすれば、すでに感じている慈心を用いることが容易になるでしょう。


次回は「愛する人が『反対の行為』を使えるように手助けする」をご紹介します。

「境界性パーソナリティー障害をもつ人と良い関係を築くコツ」 シャーリ・Y・マニング著

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