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妄想少女 ― 精神分裂病患者の日記

著者:アントワネット・ローザ・ガニム  訳者:林 建郎 [Schizophrenia Bulletin Vol.13,No.4,1987]
わたしは自分の病気がどんどん悪くなるのを感じる。
わたしのからだは死で満ちている。
また夜がやってきた。
永久に眠っていたい気持ちだ。

ここでは私たちは、いま皆ヒーローですよね?もしそう考えるのなら私の身代わりになってみますか?でもひとは、まだ行ったことのない場所に対して恐怖心を決してもちはしないから、多分あなた方は言われたとおりにするかもしれない。すべては私が悪いのだと考えながら。

最初に幻覚や妄想を持ち始めた頃を思い浮かべると、なにかとても特別なことが私のからだに起こりつつあるような気がしたものでした。自分の心がある種の不運な“乗っ取り”にあったという認識にたち、これに立ち向かうというような気持ちになったのは30歳台のことで、1968年の私はまだ20歳台でした。生あることを祝福し、その喜びを自らのものとして謳歌する年頃でした。

私の意識の中には長いこと、ある「言葉」が常にあって、時々理性のほうへ向かってどかどかと乗り込んでくるのでした。それについては、以前にも考えたことは確かにあったはずですが、あたかも突然出てきたかのようでした。それは、「愛、そして誰もが誰かを愛するということは、いかに重要なことであろうか」というものでした。つまりこの「言葉」が突然、マンモスのように大きなものになって、私の心の中にある、それ以前には自分でも気がつかなかった領域へ飛び込んできたのです。私の物語はここから始まります。ここから私の心は勝手な逃避行に旅立ち、結果として唯一の結論は、神そのものが私のもとにやってきた、と考えざるをえない原因を私につくったのです。この時から、神は私から去ることはなく、私の心が周囲の人達の“現実(going)”認識と歯車が合わなくなり、そして自分が病気である、と判断するに至りました。これと時をおなじくして、私はひどいうつ状態を経験するようになりました。自分が病気であることを知ったことが原因で、このうつ状態を引き起こしたのかどうかについては定かではありません。

この非日常的なすばらしい「言葉」に続いて、この後何年も私の思考を支配し続けることになる妄想中の妄想がやってきたのです。それは私が恋に落ちた最後の人―若い男性―への想いでした。その「言葉」はすぐにある友人のことを私に思い起こさせました。そして奇妙な事情から、彼が原因中の原因をつくることになるのです!彼は答えのすべてを持っていた、と私は思いました。それはある特定の事柄についての答えではなくて、人生に関わるすべての事柄についての答え、という意味です。きっと、何故私がこんな考えをもつまでに愚かになれたのか、とお考えでしょうね。何故だか私にも分かりません。ただ私は常に、周囲からは才能と能力を備えた知的な人間と考えられてきました。しかしそれは私の知性ゆえではなく、私自身の宗教観を、他の狂信的カルトに染まった連中と比べての話だったのです。でもこの時は、私の心はひとりでにある結論に達していました。今では時として、人生の複雑さのすべてをひとりでかかえるのは私にとっては困難に感じる時があります。でもその時までは、私は人生に対して興奮していました。私には人生の多くの新たな挑戦があり、大都会に出てきたばかり。そしてすべてを賭けた恋に落ちたのですから。私は才能ある音楽家で、美術家、作家でもありました。多分人生を諦めてしまったのかもしれません。多分日常生活に対応できる能力に欠けているのでしょう。けれどその時の妄想は、非常に強く、激しく、真実味を帯びていて、私は専門家のいう私の脳にはある化学物質が欠けているという意見に傾いていました。確かに妄想があまりに強いものなので、確たる証拠はなくてもそうする以外に方法はないというのは理解できるのですが、こういうことに関して他人の判断を信頼するためにはある程度の年齢が必要、ということは言っておかねばならないでしょう。

その若い男の名はビル、またの名をヴァージルといいました。多分ヴァージルからヴァージンという名を私が思いついたものでしょう。聞き間違いかもしれませんけれどもその名前はこころに残りました。あまりにその印象が強かったので自分の聞き間違いと分かるまでに随分な時間が必要でした。あるいは誰かが冗談でそれを言ったのかもしれませんが、既にそれは定着してしまっていました。

その「言葉」を聞いた時、私はビルのことを考え、彼の働く店までの1ブロックほどを走りました。彼は物静かな若者で、ブロンドを長髪にした本物のヒッピーでした。私は店に飛び込むなり、“ヴァージン、”と彼の名を呼び、“抱いて!”と叫びました。彼は私のからだに腕をまわし、私は彼の目をみつめながら今までで最も激しい“宇宙へのトリップ”を経験したのです。(その時までに何度かLSDは経験していましたが、これは私の精神病に関する最初の出来事で、ドラッグとは一切関係ありません。)それはまるで華麗な光のトンネルの中を浮かんで行くような、その時までに経験したことのない、美しく圧倒的な出来事でした。私は意識を失い、気がついた時は夜になっていました。彼のほかにはお店には誰もいませんでした。

私がいまお話したことは、はじまりの部分です。これからあとに続いて起こったことは美しいものではありません。私の心は、その後の人生をばら色のガラスを通してみることで、だまされ続けました。私は存在するはずのない完全性によって人生は満たされているはずだと確信するようになり、他人を完璧に信用するようになりました。人間とは悪いことをしないものだ、仮に悪いことをしてもそれはすぐに許されて二度と繰り返されることはないはずだ、と私は信じたのです。人間はあらゆる方向に、完全なものに変わりつつある、それは可能なことなのだ、と信じていました。私は他人を愛し、世界を愛したかった。そしてその愛は自分自身にも向けられていました。ひとことで言えば、私は徐々にこの世界の犠牲者になって行きました。ヒッピーの仲間からはレイプされ、お祝いだといってはドラッグをあてがわれていたのです。

私の中で何かが起こって、ここまで自分が無防備になったのでしょう。自分の心にだまされたのです。レイプされているとき、それはこの“ヴァージン”という若者が、何か神秘的な経験を私にさせてくれているのだと考えていました。ドラッグが身体に悪いとは考えませんでした。ドラッグについてそれまでに得た知識や教育は無効になってしまい、危険、などというものは存在せず、頭の中でそれを現実のものとして受け入れる能力も無くなっていました。学習という行為はおこなったものの、それが頭の中には記録されないのです。危険という考えは私にとって、もはや意味のない概念になっていました。その結果私は火傷を負いました。以前に経験したことのないほどの痛みを感じました。それでもまだ最初のうちは、生きるということに執着を持っていたのです。幸福感もまだまだありました。

現在の私の神経は完全にまいっています。私は自分がいつ爆発するか、そればかり考えていて、誰かを傷つける前に死んでしまいたい、と望むのです。とても不愉快な考えが頭の中にあり、なんとかそれを避けたいと考えています。母とはよく電話で話をします。その時は気分がよくなるのですが、それが長続きはしません。そんな時は薬をいつもより多めに飲んでいます。こんな考えがこの先具体的な形をとるとは思いませんが、ただそれを心にかかえているだけで苦痛なのです。そして精神を病むとき、ひとは自分に信頼をおけないのです。

私は昨晩、妄想の一部と思われる夢をみました。私はひとつの創造物でした。しかし私を創造した力は、それ自身が完全なものではなかったのです。その“力”は、自分が完全になってもどってきたら目覚めさせてあげるから、それまでは私を眠らせるというのです。妄想であれ、夢であれ、こんな考えは簡単に振り払えるものではありません。

自分は正しいことをしている、というとき、それはしばしば、他人を喜ばせることだと人はいいます。人々は互いを喜ばせてきました。これには私も賛成ですが、ただ、今日では他人を喜ばせる、という点については混乱が見られるます。それが私の場合はより顕著なのです。といいますのも自分はたぶん神を信じてはいないからです。私は進化論を信じ迷信を排除していることを誇りに思っています。もし神が存在するのであれば、それはアインシュタインが信じていた神のように、人間の事柄には口を出さないものだと考えています。

私は科学を信ずるものです。私の正気は老人達が手探りで発見してきた分野に依存しています。すでに妄想は“治癒”されたのですから、彼らは賞賛にあたいするのですが、うつ状態にいるとそれもできません。似たような経験を積まないととなりの人のように賢くなれないのです。
筆者について

ティム・ウッドマンは現在失業中の航空機整備士で、メンタルヘルス関係の慈善ボランティアでもある。1年以内には大学へゆき、司書の資格を得たいとの希望を持っている。


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