私は28歳。人生のほとんどを精神分裂病に悩まされてきた。長い入院と数多くの治療に助けられ、なんとか生き長らえている。現在私はコミュニティ・ケアで暮らし、多くの外来のクリニックに通い、コンサルタントの診察を受けている。
精神分裂病は人々の罹る病気の極限にあり、謎と神秘に包まれている。深い苦痛と孤立がその特徴で、世間からは無視され、誤解されている。ほとんどの患者にとっては、病院へ収容されるか、最近増えているコミュニティ・ケアの生活しか選択肢はない。不充分なケアやサポートが多く、患者の多くは軽蔑や虐待に曝されながら治療を受け、惨めな荒廃の中をさまようだけである。
しかし、この障害は一般の認識とはどのように関っているのだろうか?それが誤った認識や恐怖を周囲に引き起こし、しばしば本物の「狂気」を指すと考えられているのは明らかである。そしてこの認識が、患者の心を占めている疎外感を、より永続的に拡大してしまうのである。
私自身にとっての現実は、ほとんど絶え間のない苦痛と苦悩の連続である。日常的に経験する幻聴と幻覚は、毎日のように生活に侵入し、私を妨害する。幻聴は殆どが破壊的内容で、聞いたことの無い言葉をとりとめもなく喋り、金切り声をあげて暴力行為を命令したりする。ときどきそれはまともな講義を装って私を欺き混乱させ、あざ笑い、被害妄想を私に強いるのだ。その命令が私の神経をすり減らし、私を包囲して一時期自殺行為や自傷行為へと追いやった。自らの命を破壊したくなる衝動を感じて、私は走ってくる車の前に身を投げ、動脈を切った。その衝動はしつこさを増し、選択の余地はないほどに思えて私はひどく苦しみ、消耗した。そして、脳の中心部からは、歪んで変調した音も聞こえるようになった。狂った内界に私を駆り立て続ける声が聞こえている上に、この音がどこからともなく湧き出すこともあった。
幻覚は非常に鮮明で、恐怖やショックを惹き起こすほど現実感がある。例えば突然の激しい爆撃のさなかに、眼の前で歩道の石が悪魔のような顔に変わり、身動きできない自分の目の前で粉々に飛び散ってしまう。そして人と会っているときには、相手がグロテスクに変形し、皮膚がめくれ、内側の腐った筋肉や臓器が見え始める。建物や部屋がぐるぐる回り出して、恐怖で動けない私の前を左右に揺れ、見る間に壁が自分に倒れ掛かってくる。動かないはずの物体が勝手に動き始め、視界を横切る光線の中を脈打ち、ぐるぐる廻りはじめる。天井から吊るされた鉄棒の檻に入れられた動物のように、私は身動きがとれず異星人の狂った支配に逆らうことが出来ずにいる。休息や救済はほとんど無い。心身とも疲れ果て、世間一般からは、長い間切り離されたままでいる。視覚や聴覚による猛攻撃に極限まで追い込まれ、私はすり減って行く。
これらは、患者の多くが経験する典型的な症状である。異常な思考、または専門家の言う「妄想」は、我々にはありふれたものだ。注意してもらいたいのは、たとえどんなに理解不可能に見えても、患者にとっては妄想が現実であるということなのだ。妄想の内容が無視されたり、矮小化されたりすることで、患者の心には語られることのない傷が広がって行く。妄想の思考過程を、時間をかけて解釈しようと努力すれば、他人にもそれと分かる思考や出来事にそれが結びついていることがあるものだ。病気から起こる異様な症状にすぎないとして適切な治療を施さない場合、しばしばそれは「引きこもり」を悪化させる。世間から遠ざかっているというこの感情は、多くの問題を派生する。社会との関りはますます少なくなり、安定的な存在とのコンタクトが減るに連れて、患者の行動は動揺したものとなって行く。患者がクリエーティブな分野で活動している場合などはとくに、個人の才能や能力が誤解される危険もある。多くの患者達が、華麗で創造力豊かな精神の持ち主であり、詩や美術の分野などでは造詣の深い芸術作品を生み出すことがあるという事実には、いまや議論の余地はない。我々の才能は、分裂病という汚名の故に真価を充分に認められていないのである。真価を認識することに対する一般的関心の低さにもかかわらず、我々の持つ力は、理解しようと努力する人々にとっては明らかである。
分裂病の診断では特有の症状範囲が明らかだが、患者に起こる状態はその個人固有のものであることは非常に重要な事実である。この病気は神経疾患であり、患者の生得的人格の欠陥に潜行的に根付き、その欠陥を際立たせ、歪めた上にもつれさせて複雑にしてしまうのだ。この病はまた、患者のなかのあらゆる力を衰えさせて、抜け殻しか残さない。しかし、分裂病のたどる経路は、個々人により異なるという事実を認識することは、非常に重要なのである。分裂病という診断を越え、それ以上の解明に努力が払われることはそう多くはない。障害の裏側にあり、理解されることを本質的に必要としている個人の存在が、忘れ去られていることが多いのである。それ故に私は、深い心理的隔絶を感じ、自分の境界線が広がってゆくのを感じるのだ。そしてこれは多くの仲間が共有している感覚でもある。我々の欲求は、治療にあたっては、共感(empathy)と洞察 (insight)をもって行ってもらいたいこと、患者の個性はユニークであり類型的なものではないという認識を持ってもらいたいことである。
分裂病の治療法は、精神遮断薬の使用のように、主に医学的治療からなっている。薬物療法に就いての私の経験は複雑である。それは激しい症状を緩和してはくれるものの、しばしば患者は精神的、感情的に無感覚になってしまう。抗精神病薬の処方がいまだに非常に多いこともあり、遅発性ディスキネジア(tardive dyskinesia)を惹き起こす危険性が大きい。副作用は一般に動作、身振り、言葉に影響を及ぼす。私にはこの副作用がもっとも辛いものであったし、それによる社会的損失と自信喪失に悩まされた。また、筋肉の硬直、振戦、潜在的に回復不能な口や舌周辺の筋肉障害にも悩まされている。皮肉にもこれらの症状は、治療の対象となる疾患本来の症状の一部として片付けられることが多い。分裂病患者のもっとも怖れる事の一つは、自分が受けている治療のコントロールを失うことである。新しい治療薬の開発が行われ、その中には遅発性ディスキネジアの危険性を最小限にしているものがある。しかしそれも等しく有害な副作用の、新たな原因となる可能性すらあるのだ。それゆえ医師にとっては、神経遮断薬 (neuroleptics) の潜在的危険性を患者に出来る限り知らしめることが重要なのである。われわれは犠牲者として、分裂症治療のこの「革命」の背後にある真実をしばしば否定されている。私は、「最後の選択」治療法として電気ショック療法を受けたことがある。この治療法は、まったく不適切なものだと私は思う。このおかげで私の記憶は、永続的な影響を受けてしまった。他の治療法も行動変容プログラムに属するもので、トークン・エコノミー療法などのように、個性を否定するものである。
入院生活は、分裂病とともに生きる人々にとってはごく当たり前のことであり、その期間は1週間から一生までの幅をもっている。しかし今重要視されているのは、多くの段階で失敗しているコミュニティ・ケアである。この失敗は主に資源の不足によるものであるが、同時に精神病治療システムの欠陥から生まれた、基本的に誤った認識によるものでもある。われわれ患者は、ケァやサポート面で組織や一貫性が必要である。しかし、この組織は、柔軟性がなく自発性や創造性の余地がないものであってはならない。異常な状態を経験した精神の中に入り込み、思いやりと創造性を以ってその精神を導くことが、個人個人には非常な慰めと安堵をもたらすのである。時間的援助や苦しみを理解する為の申し入れは、前向きで現実的な支援である。啓蒙されるべきは、メンタルヘルス・サービスばかりでなく、社会全体である。表現はこの病気を効果的に治療する上で重要な構成要素である。われわれは症状の集合体としてではなく、個人として接してもらうことを望む。より建設的なアプローチの奨励や活発なケアが、われわれの苦痛や苦悩を封じ込めるであろう。その時はじめて、調和が保たれ、社会からの無視が終焉を迎えるのである。
筆者について
ロバート・ベイリィは現在、絵画、執筆、作曲などの活動を行っている。彼は自分の幻覚を題材にした絵画や音楽を展覧会、レコーディング等を通じて発表している。詩集も既に発行し、最近初めての小説を上梓した。題材は分裂病の主人公を中心にした自伝的要素の濃いものである。彼は以前から精神病に就いての記事を多く寄稿している。
この体験談の中で私が幻覚や妄想を明瞭に表現することで、治療者が患者を治療する際に何を知るべきかについて役立てばと願っている。気分が良いか悪いかは、精神障害を治療する上での問題ではない。重い精神病であるが故に気分が悪いとか、精神が安定しているので気分が良いとかは私の経験ではあり得ない。この二つは互いに無関係だ。例えば在る時、私は幻聴に襲われて、裸のままアパートの外をほんの1分も歩いていたら警官がやってきた。その時の私は完全に精神病に陥っていたが、気分は良かった。警官や訴追から逃れるために、私の声は自分が癲癇患者だと言うように命令した。そして警官が薬を探している間には、癲癇を証明するためにその発作を起こすよう命令した。警官は救急車を呼び、私を入院させた。
精神病の人にとっては、その幻聴を保護したいという気持ちをもつ場合も在り得ることを言っておく必要がある。どんな落ち着かない毎日を送っていても、幻聴は患者の世界の一部になり得るのだ。それは治療者にとっては、突飛で厄介に思えるであろうが、神の声は平均的な患者とっては突飛でも厄介なことでもない。同様に悪魔の声も簡単に無視されたり、軽視されることはない。
私のグループホームのスタッフが、私の精神病にとてもよい治療法を持っていることが分かった。それは対決的にならないということである。彼らは私の幻覚と妄想について尋ねはするが、それらを疑りはせず、ただ単に頷いてその話題はそれで終わりにする。長い年月、妄想を拭い去るために趣味に熱中し、幻覚を追い払う為に本をむさぼるように読んだ。私の記憶では、私の妄想や幻覚に挑みかかる治療者は、皆敵意と怒りに満ち溢れていた。そんなことの後は、私は彼らが聞きたがるような事柄しか答えないようになった。
色々な経験を経て、専門的精神治療が絶望から私の人生を救ってくれたと認めることは、私にとって喜ばしいことである。厳しい道のりだったが、私の精神病は回復に向っている。将来的なキャリアを視野に入れ、近いうちには大学院での勉強も再開したい。この体験談が分裂病に関わる治療者にとって役立つことを願っている。それが私と同様に苦しんでいる人達の助けにもなるだろう。